「運がいいですね。ここまで来られた。100年は生きられますよ」
「永遠にではあるまいな。永遠は恐ろしい」

――タルコフスキー『ストーカー』







 1988年3月12日、私はエミール・バウアーという名前を捨て、エルンスト・ブフナーを新たな姓名とした。この名前は、何かと私に親切にしてくれた弁護士のミハイル・シューラー氏が、元と同じイニシャルの方が馴染みやすかろうとの配慮から提案してくれたものであったが、彼がそこまで気を使ってくれたのはただの義務感からではなく、私の名前が兄の出来事を思い出させたのであろう。そして私自身はといえば、この改名という取るに足らぬ手段によって、これから一生の平穏が保障されるなどとは、夢にも考えることはなかった。
 私の兄のペーテル・バウアーは1987年の暮れに、恋人であったアンナ・プロハスコヴァを殺害した容疑で逮捕され、留置されているうちに彼自身も首を吊って自殺した。この事はドイツ中の多くの新聞が取り上げたので、記憶にある者も多いと思う。私の元にも何人かの新聞記者が尋ねてきたが、彼らが私から聞き出せた事と言えば、我々兄弟の置かれた境遇や兄の人物といった通り一遍の事実だけであった。
 私は1963年に生まれ、兄はそれに三年先んじてこの世に生を受けていた。両親のあらゆる素養は全て、あるいはそれ以上が兄に受け継がれたようで、私が物心ついた頃から彼は一種の神童として持て囃されていた。特に語学に対する才能は同世代の子供の中には比肩するものとてなく、基礎学校からギムナジウムに進む頃には英語やフランス語をほぼ完璧に会得していた。さりとて、彼が自らの能力を周囲にひけらかすような真似をした場面を、私は一度たりとも見たことはない。私は(そしてごく少数のものだけが)彼がロシア語にも興味を示しているのを知っていたが、兄はそれを隠そうと努めるだけの慎み深さを持ち合わせていた。当時のドイツでは、ソヴィエトに反感を抱く者が少なくなかったのである。一方で私にはこれといった素質もなく、兄が12年生の際に兵役ではなく代替役務を選び、彼の優れた才能のために誰もがその行動を支持したのを見て、自分の時にはこうは行かないだろうという漠然とした予感を抱いたものである。
 兄がアビトゥーアを得てゲーテ大学に通い始めた頃、両親が些細な事故によって突如この世を去った。当時私はとある職業学校を卒業し、兵役についてニーダーザクセン州に居たため、葬儀に立ち会うことが出来なかった。休暇を申し出てはみたのだが、それが受理される運びになったのと同時に兄から手紙が届き、両親が既に埋葬されたことを憤慨も露わな筆致で綴っていた。
 僅かな遺産は、会った事のない大伯父が管理してくれたらしい。どのみち、我々兄弟はそれを受け取るつもりがなかった。私は兵役を終えた後、職業育成学校へ通う傍ら勤めていたソーセージの生産工場での仕事があり、兄はフランクフルト・アム・マインでも有名なある書店の店員として賃金を得つつ大学へ通っていた。当時、兄は翻訳や文筆業なども片手間に行っていたと見えて、カール・オルフが賢明にも旋律を付ける事をしなかった『カルミナ・ブラーナ』のうちでも最も冒涜的な数曲をドイツ語訳した小冊子を出版したことでいささか物議を醸したこともあったらしい。当時私の元にもそのうちの一冊が送られてきたが、後にこれは他の文書と共に燃やしてしまった。
 私がソーセージ工場での仕事を本業にしようかと考え始めた頃、兄から手紙が送られてきた。そこには彼独特の婉曲法でもって、つまりは自分に恋人ができたのでこれを紹介したいとの希望が書かれていた。私はといえば、かつて両親の葬儀に立ち会えなかった事で兄に反感を持たれていると思い込んでいただけに、すぐさま昵懇の仲である上司に休暇を願い出て、兄に今すぐ向かうとの電信を打った後、急いで荷造りした鞄と共にフランクフルトへと赴いた。
 とある酒場で数年ぶりに会った兄はまさしく学究の徒といった風貌に変身しており、知的な物腰や豊富な語彙を持つ姿には学者に特有の威厳が備わっていた。我々は久しぶりの再会を喜び合い、兄は私が立派な一人前の男になったと言っては喜んだ。私はそこに兄の恋人らしき女性の姿がないことに疑問を呈したが、彼は恋人が滅多に出歩かず、いつも会いに行くのは自分の方であること、そして今日もそうするつもりだと朗らかに語った。
 数杯の林檎酒と共に近況を語り合った後、我々は連れ立ってフランクフルトの街を歩き、学生向けの下宿が連なる小路をいくつか抜けた。兄はある一軒の前で立ち止まると、二階の窓を見上げて「ここだ」と言った。私もその両開きの窓を見上げたが、窓には小路の家並みが映るばかりで内部の様子は窺い知れなかった。まだ日も高い時刻のことであったので、それは当然の現象と受け止めるのが自然であるが、私はそこに名状し難い悪寒に似たものを感じ取った。
 兄の先導によって下宿の門を潜り、二階へと続く階段を昇るにつれて、先程の悪寒が知覚されるようになったかのように、ある臭気が強まってきた。おそらくは何かの香を焚く匂いなのだろうが、今までに嗅いだあらゆる臭気にも似るところがなく、さりとて悪臭と言うには及ばぬという程度の快さを伴う香りであった。明らかにその源泉である扉の前に立った時、私はそこに打たれた掛け釘に「プロハスコヴァ」と記した板が細い鎖で下げられているのを見た。兄のノックと「ペーテルだ」という呼びかけからややあって、か細い女の声が「どうぞ」と言ったのが、辛うじて聞き取れた。
 アンナ・プロハスコヴァは二十代の初めとおぼしき女性で、部屋の窓際に置かれた大きな書斎机の上に広げた書物に目を通している最中だった。髪は屋内に篭もりがちなせいか褪色したような灰色で、肌は中国製の壷のように白かった。我々が部屋に入ると、顔は書物に向けたままの姿勢で、鼻に掛けた老眼鏡の縁から上目遣いに私の方を見て、次いで顔を上げて兄を見遣った。
「弟だ」と兄は言った。そして私に向かって、「アンナだ。見ての通り、魔法使いさ」と彼女を手で示した。
 私は兄の言葉を、彼なりの冗談と受け取るべきか、一時真剣に考慮した。部屋の内装は書斎のようで、壁に作りつけられた書棚にはクロス張りの背表紙が並び、奇妙な曲線を描く三本の脚に支えられた小テーブルの上では香炉が妖しげな煙を静かに吐き出していた。書斎机の上には平積みにされた数冊の本と、書き散らしたメモやノートブックが散乱している。その上、室内の暗さに目が慣れてから気付いたことには、彼女は喪服めいた漆黒のローブのようなものを身に着けていたのである。
「エミールです」と私は一応の挨拶をして、握手を求めて右手を差し出しつつ、彼女に数歩近付いた。彼女は老眼鏡を外して本のページの間に置くと、そのすぐ隣に左腕を就いて、それを支えにしながら上体を机越しに乗り出して私の手を取った。「アンナ・プロハスコヴァ」と彼女は自己紹介した。そして兄に向けて、「目がそっくりね。本当によく似てる」と言って笑った。その笑い方を見て、私は兄の言う「魔法使い」という言葉が冗談であると思う事に決めた。私が知るグリム童話の魔女は、彼女のように爛漫に笑わないものだ。
 しばらく三人で話し合ううち、私は彼らの関係が語学という共通項に端を発していることを発見した。プロハスコヴァ女史はどうやら大変な好古家で、過去の文献を研究しては、そこに現代では見られなくなった風俗や秘術めいたもの、また伝えられずに忘れ去られた伝説などを発見することに人生を捧げるつもりであるらしかった。私の兄はといえば、彼女の所有する膨大な量の文献を読み解くに際して必要な言語知識を自分が備えていると考え、彼女の一大事業に手を貸すことに決めたらしい。それが彼らの間柄の端緒であったようなのだが、私からすれば単に利害が一致しただけの仲とも見えるので、兄と女史の間にある「愛情」がどれほどのものか訝かしく思わずにはいられなかった。
 書斎には唯一不釣合いな調度としてベッドが隅に置かれていて、プロハスコヴァ女史はどうやら全ての生活をこの一室で完結させているらしかった。彼女は客用の椅子が無いことを詫び、私のベッドに座るように勧めてくれたが、私は丁重に辞退した。有り得ない事ではあると思うが、仮にそのベッドが彼らが愛を交わす舞台となった事が一度でもあるならば、そこに踏み込むのは躊躇われたし、特にペーテル・バウアーの弟たる私がそうする事に対しては、近親相姦めいた嫌悪さえ感じられたのである。
 結局ベッドには私の兄が座り、私はプロハスコヴァ女史が机の後ろから引きずり出した椅子を勧められ、彼女自身は書斎机の縁に浅く腰掛ける形で落ち着いた。しかし話し始めて十分としないうちに、話題は兄と女史の間で進行中の何らかの計画の話になり、私には理解の及ばない単語や言語が頻繁に飛び出すようになるに至って、私は会話の輪から弾き出された形となった。会話の端々には「点と線の間」や「鋭角の間隙」などといった単語が聞き取れたが、それだけでは会話全体の文脈など推測し得るはずもなかった。仕方なく、私は書棚に並べられた書物を眺めることにしたが、多くの背表紙は題字を欠いており、金文字の浮かぶものも私の貧弱な知識では理解はおろか発音さえも不可能なものばかりだった。ようやく見つけたドイツ語の題は『無名教典』という、内容について憶測を許さぬ不可解なものだけであった。書斎机に詰まれた本の背表紙にも目を移したが、『食屍鬼教典』というもの以外は『デ・ヴェルミス・ミュステリース』と読めるラテン語らしき題、他には『ネクロノミコン』という不気味な語感を持つものが認められるだけであった。
 じきに兄は、用を足すために中座を願い出た――この下宿には、階下の共同便所しかなかったのである。プロハスコヴァ女史はもちろん了承し、彼女と私だけが部屋に残された。その間、私はなんとか共通の話題を見つけて話しかけようと口を開きかけたのだが、彼女の顔に視線を向けた途端、何故か私の思惑は全て看破されているという思いに駆られ、思わず目を伏せてしまった。
「魔法使いが恐い?」と、彼女は可笑しそうに訊ねた。
「失礼ですが?」と私は訊き返した。
「キリスト者って、魔法を恐がるから」
 私はその言葉が、彼女を非キリスト者と断定する根拠になるかどうかと一瞬だけ考えたが、すぐに諦めてしまった。仮にそうだとしても問い質す勇気はなかったし、第一私が最後に教会へ行ってから、かなりの年月が過ぎようとしていたので、私がキリスト者として彼女を非難することの正当性があるわけがない。
「わたしがこういう事をしているのはね、悪さをしようって訳じゃないのよ。むしろ、誰かが過去の秘術を物して――古い文字が読めれば、誰だって出来るもの――悪さをしようと目論んだ時に、それを防げるようになりたいと思ってるの」
「そういう事が実際にあったんですか?」
「さあ」と言って、彼女は肩を竦めた。「魔法の書物も、前の戦争でかなり焼失したから。この本だって、多分残ってるのはこれと、あとはアメリカのニューイングランドにあるくらいかな」
 私は素直に驚嘆の念を示し、そして彼女が手を置いている本の中身を見せて戴けないだろうかと願い出てみた。するとプロハスコヴァ女史は意外そうな顔をして、しかしその両手は書斎机の上の書物を恭しく持ち上げていた。
「本当に?」
 その声が驚くほど抑揚を欠いたものだったので、私は仰天した。続いて、香炉から漂い出る香りが急激に強くなったことに気付いた。私は身じろぎをしようとしたらしいが、何故だか身体が硬直したように動かなかった。それに構わず、彼女は本を手に私に歩み寄ってくる。
「ラテン語は御存知ないでしょうけど、図もあるのよ。この本にはね――喪われた時代の祭儀や、違う空間の神々に捧げられる儀式の様子を描いたものが。あんまり見たくないものだけれど、それでもラテン語で記された本文に比べれば大したことのないものよ。本当に、あなた見てみたいと――?」
 その時、背後で扉が開き、私の兄が入ってきた。手を拭ったハンケチをポケットに仕舞いながら、中座のことを詫びた。弾かれたように硬直状態から回復した私は兄を振り返り、何事かを口走ろうとしたようだったが、それに先んじてプロハスコヴァ女史が「お茶淹れない? 喉が渇いたわ」と言い、その声音には先程とは打って変わった生気が満ち満ちていたので、私は遂に何も言う事が出来ずに終わった。
 ここまでが、私が兄の起こした事件につして新聞記者に語った事実である。兄との奇妙な再会の日以来、私は自分の生活に戻って仕事に精を出し、兄とは再び手紙をやりとりするだけの間柄に戻っていった。それは彼とプロハスコヴァ女史との仲を考慮したというよりは、私が彼女に抱いた謂いの無い恐怖によって、彼女と繋がりのある兄さえも避けようとする無意識の顕れであったのかもしれない。その後、兄から女史が不治の病に見舞われたとする手紙を受け取ったが、私が仕事の忙しさからこれに対する返事を出しあぐねている間に、彼はプロハスコヴァ女史を殺害して逮捕されることになったのである。
 新聞記者のうちの一人は、兄が逮捕された後に留置場から送った私宛の手紙について質問したが、私としてはそれに答える気にはなれなかった。兄が留置場に入ってから自殺するまでに送られた数通の手紙には、文面のほとんどに兄の狂気が滲み出ているとしか思えなかったので、それを伝えることで兄を狂人に貶めるのを恐れたのである。結局のところ、世間はこの事件を「不治の病に冒された恋人を、その苦衷から救おうと殺害した哀れな男」の同情すべき事件であるとして、一種の美談に仕立て上げて満足した。
 私としてもその説を否定するつもりはなかったのだが、どういう運命によるものか、兄とプロハスコヴァ女史の「悲劇」の真実を知ることになってしまった。この運命をもたらしたのはミハイル・シューラー弁護士で、兄の裁判で弁護を担当する予定になっていた人物である。
 彼は故ハンナ・プロハスコヴァが殺害される直前、ペーテル・バウアーに蔵書や文書の管理を全権委任する旨の遺言書を書いていた事を告げ、そのペーテルが死亡した今、その所有権は私にあるのではないかと指摘した。そして今回の件に関してはお悔やみを申し上げるとともに、長年の弁護士としての経験が事件の背後に並々ならぬものを感じさせる、今は亡き女史の遺した資料に、それを見出せるやもしれぬので、肉親たる君には即刻そうすることを勧めると述べた。
 兄の葬儀が済むと、私は再びソーセージ工場の上司に休暇を請い、プロハスコヴァ女史の下宿へと赴いた。階下に住む家主の寡婦は近く家具類を全て売り飛ばし、新たな下宿人を入れたい意向を示したが、私は今までの分に加えて一ト月分の家賃を彼女に与えて、しばらくの間は部屋をそのままにすることに同意させた。
 主を失った部屋には薄く埃が積もり、部屋の隅には蜘蛛の巣が張っていた。私は奇妙な懐かしさを感じながら書斎机に歩み寄り、椅子を引いてそこに腰掛けた。遺された文書類は膨大であったが、私が解読できるものはごく僅かであった。散乱したメモ類は奇妙な筆記体で未知の言語を記していたし、蔵書に至ってはかつて女史にそれとなく示唆された悍ましい内容から、開けるのが躊躇われた。仕方なく数冊のノートブックを手にとってみると、意外なことにこれだけはドイツ語で、私にも分かる程度に現代風の文法で記されていた。
 三冊あったうちの、二冊は『間隙の妖――覚書』と題されていて、それぞれ一、二と番号が振ってあった。一と書かれた方にざっと目を通すと、「内宇宙と外宇宙の境」に関する内容が記されていたが、その詳細は私にとって支離滅裂で、単語ごと、あるいはセンテンスごとの意味は分かるものの、文章としての内容は理解しかねるものだった。不気味な術語が連なる紙面を飛ばし飛ばし読み進めながら、最後のページに「果たして我々の世界にも干渉し得るや?」という疑問文で終わっている事を認めて二冊目に移った。そこでは何らかの儀式に関連した事が語られていたが、これはどうやら一冊目で述べられていた「内宇宙と外宇宙の境」を行き来する存在を招来するための秘法のようで、そのために必要な準備項目が数十ページに亘って書き連ねられていた。その膨大な量に及ぶ項目を飛ばし、その後まで読み進むと、何かの引用と思しき「決してそのものを呼び覚ますなかれ。その大いなる眠りを妨げし愚者には死あるのみなれば」という文章にアンダーラインが引かれていた。私は注意深く「それ」と代名詞で呼ばれているものが、何故か必ず「Die」という女性形で記されていることに気付いた。ノートブックは途中で終わっており、最後のページには「準備万端なり」という一文が記されているだけであった。おそらくは、プロハスコヴァ女史は儀式なり術式なりの準備を進めていて、この時点で既に実行可能であったものと思われる。
 実際にその儀式を行ったのかどうかについては、三冊目のノートブックに記されていた。表題も何もないこのノートブックは、言わば日誌の体裁をとってプロハスコヴァ女史の研究を記述したもののようであった。どうやら先の『覚書』の二冊目と同時期に書き始められたらしく、儀式の準備が整ったとされる日の記述も中ほどに発見できた。
 しかしその日を境に、筆跡が見るも無残に変化しているのを見て、私は慄然とした。それは紛れもない恐怖から来る筆の乱れであり、複合語の綴りの間違いや文法的に不適格な関係文など、明らかに筆者が動揺していたことが伺えたが、それでも辛うじて大意を汲み取る事が出来た。要するにプロハスコヴァ女史は儀式に於いて何らかの過失ないし手違いを犯したために、招来した「それ」の不興を買い、慌ててそれを元の「外宇宙」に送り返したというのだった。先達のいかなる魔術も「それ」には抗せず、ただ「それ」が持ち前の気まぐれから自分の過失を看過してくれることを願うばかりだと、そこには記されていた。翌日にはペーテルに対して儀式に失敗した事実を打ち明けたと述べられており、彼は女史を救うためには助力を惜しまないと誓ったとある。その決意に対し、プロハスコヴァ女史は露骨な愛の言葉を記しているが、それも恐怖に震える筆跡によるものであれば怖気を誘うものでしかなかった。
 その後、あらゆる試みが為されたようであったが、成果は挙がらなかったようである。「それ」は「外宇宙」から虎視眈々とプロハスコヴァ女史を狙っており、期あらば――「点と線がある一定の秩序で揃った隙間から」出現するであろうと、彼女は怯えを隠さぬ表現で記している。それは物理的な攻撃を女史に与える事はしなかったが、しかし肺病という症状で彼女に顕れ始めたようで、兄の勧めから医者にかかった日の事が記されている。彼女はこれを死の淵へと引き摺り込もうとする「それ」の仕業だと断定し、日増しにその恐怖が露骨に文面に表れだした。そしてある日の記述などは、筆跡がいつにも増して乱れ、文章は断片的で書いた者の動揺、恐怖を如実に物語っていた。冒頭には日付が記してあったが、その筆遣いにさほど乱れが見えないことを考えると、これは後で落ち着いてから書き足したのだろう。


4月18日
 夢――醒めてすぐに記す。遂に「それ」は夢中にさえ出で給えり。遂に夢と現の境でさえも通過せしものと認む。あらゆる垣根を越ゆるもの――全ての隔たりが無意味と化す――永遠に横たわる事を能うもの――東の空より出で来たるもの。夢中にてそれは危うく我を捕らえリ、アニュス・デイ・エト・アウリス・ヴルピス――あたかも幼子を攫うエルケーニヒの如く。我が禁断の知識の断片を欲し、さらなる力を得んとすればこそ。


 文章は支離滅裂で要領を得ないものであったが、それがゆえに読み手を慄かせるところがあり、プロハスコヴァ女史が「それ」と呼び恐れるものがいよいよ間近に迫ってきたことが推測できる。これに続く数日分の記述は比較的落ち着いているものの、どちらかというと女史は「それ」から逃れることを既に諦め、むしろ自らの持つ過去の秘術に関する知識を「それ」に渡さないよう、自らを消滅させる方策を案じ始めたようだった。ここから文中に私の兄の名前が出現する回数が増し、どうやらプロハスコヴァ女史は自分の殺害を兄に依頼していたらしかった。兄自身はそれを頑なに拒絶し、女史としても彼と離れるのは心苦しい様子であったが、それについて「死後の魂を青い鳥として再臨させる」秘術に頼るので心配は無用だと説き付けたらしい。
 この記述を読んで、私は背筋を這い上がるような寒気を覚えた。留置場から送られてきた、兄の手による手紙――そこには、留置場の窓から飛び込んできた青い鳥が自分に懐いたとあり、それがアンナの生まれ変わりだと何度も微妙に表現を変えながら力説してあった。私は手紙を手にした当時、それを恋人を殺害したショックによる錯乱が生み出した幻想だろうと考えたのだが、そうだとすればプロハスコヴァ女史の日誌の記述はどう解釈したら良いのだろう?
 最後の数ページの筆跡は穏やかな調子が復元している。それは明らかに、同意殺人による自殺という形で自らを救済できると知った女史の安堵の表れであろう。魔術に関する記述は控えめになり、兄に――ペーテルが惜しみなく自分の研究に尽力してくれたことへの感謝、彼にこのような忌まわしい仕事を頼むのを申し訳なく思うこと、そして最後に彼への愛が多少大袈裟に記されていて、いくらか感傷めいた調子に終わっていた。
 その後の記載は一切なく、その後は私の兄が留置場から書いて送ったように、プロハスコヴァ女史の魂は青い鳥として転生を果たし、兄の許へと飛んで行ったのだろうか。――だが、仮にそうだとすれば、私は兄の最後の手紙について悍ましい推測をせねばならないだろう。
 兄が死の数日前に留置場から投函した手紙には、青い鳥についてのことが錯乱した調子で書き綴られていた。当初は単なる狂気によるものだと思われたその文面には、次のように書かれていたのである。


 鳥が死んだ――それが連れ去ったんだ。それはアンナ自身ではなくて、彼女の魂を求めていたんだ。エミール、それは遂に妖蛆の秘密を知ることになる。あれは全ての狭間からこの世界に――どの世界にだって――毒牙を延ばすことが出来るんだ。それが遂にあの祭祀書の忌まわしい秘儀を手に入れたからには、我々人間のうちの誰一人として安寧としてはいられない――それにとってみれば、我々なんて取るに足りない存在なのだ。我々の正気の埒外から来たそれにまみえる時には、ぼくの弟よ、死さえも我々とって慈悲深いものとなるだろう。


 私は兄の死体を目にした時の事を思い出した。既に死に化粧が施された後だったのだが、それでも霊安室で目にした兄の真っ白な顔に、なお深く刻みついていた表情は記憶にも鮮明だった。今にして思えば、あれほど恐怖に満ちた表情もあるまい。世間では、兄が恋人の生まれ変わりと信じていた青い鳥の死によって、自らの罪をその時初めて悔いて自殺したと伝えられたが、なんという誤りだったのだろう! つまるところ、彼はこの世のあらゆる恐怖を凌ぐ存在に、最愛の者だけが有した悪魔の知識が渡ったことの意味を知り、そのために死を望んだのだ。しかし、それを誰が責める事ができよう――今ここでアンナ・プロハスコヴァ女史の座っていた椅子に腰掛ける私でさえ、いつ忍び寄るか分からぬ「それ」の影に怯えているというのに? 永遠に横たわることを能う者――垣根を越える者――いつそれが我々に近付いてくるのかという時に、安穏と過ごしていられる者がこの世にいるだろうか?
 私はミハイル・シューラー弁護士に電話を掛けて故プロハスコヴァ女史の部屋へと呼ぶと、私が解読し得るいくつかの資料から読み取った事実を話して聞かせた。最後まで語り終えた後で、もし古文書などに詳しい専門家の手を借りれば、さらなる事実を掘り起こすことも出来るやもしれぬと提案したのだが、シューラー氏は遮るように首を振った。シューラー氏は私に兄との会見で目にしたものを私に告げ、兄が実際に青い鳥を肩に乗せていたという話をして聞かせた。私がもっとも恐れたのは、青い鳥が兄の妄想などではなかったという事実ではなく、シューラー氏が震えながら述べた次の言葉だった。「窓から入ってきたと言っていたが――窓から入ってきた筈がないんだ。なにしろ、あの留置場には窓がなかったんだから」
 それから、我々はこれらの事実を深く掘り下げるよりは、このまま蓋をしてしまおうという結論に至った。どのみち我々には手の施しようのないことなのだ。シューラー氏は全ての関係資料を焼却することを提案し、それはその日の夜のうちに実行された。夜空に閃く炎を見つめながら、私とシューラー氏は今後一切このことは口外しないように、またこれに関する全てを忘却するように努めるとの誓約を交わした。私は姓名を変え、あの慣れ親しんだソーセージ工場の職を辞し、遥か遠くシュレスヴィヒ・ホルシュタイン州へと移り住んだ。私が不幸にもその存在の一端を知ることとなった、兄とプロハスコヴァ女史が「それ」と呼ぶものが、万が一にも私の口を封じようと画策するのではないかと恐れたのである。
 しかし、私が取り得る手段のうちのどれが、「それ」に対して有効であろうか? あらゆる障碍をものともせず、あの忌むべき存在は私を捉えることができるのだ。かつて兄が収監された窓もない留置場の中で、プロハスコヴァ女史が転生した青い鳥の命を奪ったように、突如としてこの世と外宇宙の境界から私を屠りに来るかもしれない。
 キールの漁港に佇みながら、私は我が身を海に委ねることをいつも思案して止まない。「それ」が――中世以来のどの怪奇画家の筆によっても描き出され得ぬ、あの悍ましい冠を頭に頂いて、永劫の時間を超えてなお生き続けるものが我々を脅かす日のことを思えば――いみじくも兄の言ったように――死さえも救いとなるであろうから。その救済を北海の冷水に見出す日も、そう遠くはないような気がする。





草稿の余白には、「ラヴクラフトの劣化コピーで、自作のどうしようもないパロディーで、
東方Projectに対する最大級の冒涜」と書き記してありました。
つまり、ある程度はお遊びで書いた作品。

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