"The Land of Peace" (原題「平和な国」)



先の"Three Men on the Rails"とは打って変わって、この話はKino No Tabi収録作品の中では原作から改変された箇所がやけに多い。
話の根幹に関わる部分の多くに手を加えたことを批判する事は容易いが、筆者としてはLinear Narrativeとして編集する上で必要不可欠な作業であったであろう、と擁護する立場を取りたいものである。



・固有名詞と人名

『キノの旅』では通常、人名や国名などの固有名詞を極力省略し、作品そのものにある種の非現実感を漂わせている。だが「平和な国」が比較的初期の作品であるためか、あるいは著者の中でまだそうしたルールが確立されていなかっためか、特徴的な固有名詞が多く登場する。
これらは"The Land of Peace"に於いても受け継がれているが、原作とは微妙な差異がある。次に挙げる通りである (括弧内は「平和な国」に於ける原文)

Veldeval (ヴェルデルヴァル)
Relsumia (レルスミア)
Tatana (タタタ族)
Utos (ウトス〔館長の息子〕)
Sotos (ソトス)
Datos (ダトス)
Yotos (ヨトス)


概ね原作を踏襲しているものの、Veldevalに関しては子音一つ何処に行ったという疑問が残る。
四音節だと発音し辛いのかもしれない。
また、レルスミアの擁するのが「国防軍」である事は「平和な国」にも明記されているが、"The land of Peace"ではそれについて補足的な説明がある。

"Veldeval won the last engagement. So, they're considered the defensive force."

「ヴェルデルヴァルは先の戦争で勝ったんです。だから彼らは『国防軍』と判断されるわけです」


原作に無かった解説だが、これはこれで興味深い箇所ではある。


・ジョンとかじゃ駄目だったのか

「平和な国」で“戦争”の案内役を務めたのは単に「若い兵士」と描写された人物だったが、"The Land of Peace"ではCorporal Yasuo(ヤスオ伍長)となっている。


・キノの私情

先に「原作から改変された箇所が多い」と述べたが、それはキノについての描写について最もよく言える事であると思う。
次の箇所は、一日目の博物館の館長との対話である。

"We stopped fighting each other. We ended the old war." There was a definite hint of pride in her voice.
Rightfully proud, Kino thought, if it is true.

「お互いにいがみ合う事を止めたんです。古い戦争を終わらせたのです」 館長の言葉には誇りが満ち溢れていた。
確かに誇るべき出来事だ、とキノは思った。もし本当なら


やけに辛辣である。


・フラッシュバック

さらに二日目、“戦争”を見学し終え、引き返しても良いかと尋ねるヤスオ伍長(笑)に応えるキノの 描写。

Kino nodded, unable to speak - afraid of what might come out of her mouth. The smell of blood drifted up, and for a moment she saw a long knife blade gleaming in the sun as it protruded from a twisted body that lay at her feet. But the hovercraft moved away and the moment was gone.

キノは頷いただけで、喋ることが出来なかった――何が口から漏れ出すか恐れていた。血の匂いがここまで漂ってきて、一瞬キノは、太陽の中に輝く長大なナイフの刃を見たような気がした。まるで彼女の足元に横たわる死体から突き出していたそれのように。だがホヴィーがそこを離れると、それは消えた。


言うまでもなく、これは先代のキノについての回想である。
「平和な国」では“戦争”を見つつも平静を保っていたのに比べ、"The Land of Peace"ではキノが幻覚を見てしまうほどに動揺している。或いは「平和な国」でも、描写されなかっただけで内心は複雑な気分だったのかもしれない。
ちなみに「漏れ出すのを恐れた」のはおそらく、非難めいた言葉か何かだろう。ゲロではない筈


・戦利品

エルメスが死体の処理について尋ねる場面では、ヴェルデルヴァルの人間のタタタ人に対する見方が露骨に表現されている。

"What do you do with the bodies of you...victims. You don't bring them home with you, do you?"
"We refer to them as 'the kill'."

「あの死体はどうするの? あの――犠牲者さんたちは。まさかお土産に持って帰ったりしないでしょ?」
「私たちは『戦果』と呼んでいます」


ここではヴェルデルヴァルの体制を読者に対してデモナイズする意図が見え隠れしている、という指摘はともかく、英語ならではの秀逸な言い回しだと素直に感心する場面である。
あとエルメスの茶化し方に。


・フラッシュバック2

ヴェルデルヴァルの兵士たちのあんまりと言えばあんまりな騒ぎっぷりに釈然としないものを感じながらも、キノは必死に自分を抑える。

"I can't do anything about it," she told herself and remembered the words of a village elder who had once spoken to the other Kino: "Traveler, in every village, in every home, there are different customs. You know this. In this village too, we have our customs. These customs are not to be altered by any actions you take. I'm certain you see that."
"I do see it," Kino murmured.

ボクに出来ることは何もない、とキノは自分に言い聞かせた。そして、いつか国の偉い人が別のキノに語った言葉を思い出していた。
『旅人さん、どの国でも、どの家庭でも、それぞれ違った習慣がある。分かるでしょう。この国でも、私たちは私たちの習慣を持っています。そして、それらはあなたの手ではどうやっても変えられはしない。お分かりですかな?』
「分かってる」と、キノは呟いた。


コロンより後に続く台詞は、"Grownup Country"からの引用である。『キノの旅』に於いて別の話のエピソードが回想される事は極めて稀だが、英訳版ではドラマティックな効果を狙っているのか時たまこうした改変が行われている。
おそらく、キノは先代キノが国の習慣に異議を唱えて命を落とした事を覚えていて、また自分こそはかつてのキノの旅を引き継がなければならないというトラウマ染みた強迫観念(アメリカ人はこれが大好きである)から、こうして私情を殺そうと努めているのだろう。
これはこれで萌える


・怒りのキノ

戦勝祝いに沸くヴェルデルヴァルで、酔っ払った店主相手に食料その他を格安で売ってもらった、その翌日。

He was groggy; he seemed to need more sleep whenever he sensed Kino was "in a dangerous mood." She had to acknowledge that she was in such a mood now.
He came wide-awake when she said, "We're going back to the history museum."
"Are you sure you want to do that?" he asked.
"No. But we're going."
"And what are we planning to do when we get there?"
"I don't have a plan."
"Okay...and I thought 'I have a plan' were the scariest words I'd ever heard you say."

エルメスは気分が良くなかった。キノが「危険な雰囲気」である事を見て取ったとき、もっと眠っていたいと思った。そしてそれは、キノ自身も気づいていたのだろう。
だがキノの言葉を聴いて眠気が吹き飛んだ。「また歴史博物館に行こう」
「何しに?」 エルメスは尋ねた。
「分からない。でも行くんだ」
「で、行ってどうしようっていうの?」
「考えてない」
「ふーん……まあ『行ってどうこうする』とか言われたらどうしようかと思ってたんだけど」


義憤に駆られたキノが、“戦争”の是非を館長に問い正すために立ち上がる瞬間である。
戦勝記念にあやかって物品を買い叩いた者の態度とは思えないが、それとこれとは別の話なのだろう。多分。
また、博物館の前で酔っ払った兵士を見つける場面ではこうした描写がなされている。

They found a young soldier sleeping in the entrance, a bottle wrapped in his arms like a baby. Kino thought of the Tatana mothers who had died cradling their children in jast that way.

キノとエルメスは、まるで赤ん坊のように酒瓶を抱えて博物館の前で眠りこけている兵士を見つけた。キノは、ちょうどこの兵士と同じように子供を抱えて死んだタタタ人の母親を思い出していた。


原版の「平和な国」でも酒瓶を抱える兵士が子を抱く母親の暗喩である事は明白であったが、ここまで明らかな描かれ方はしていなかったように思う。


・反骨精神丸出し

博物館を回るシーンでは、地の文に於いて「平和な国」を上回る心情描写が成される。

Kino schooled her face and voice to show no emotion and hold no inflection.

キノは表情が自分の感情を顕さないように、また声が上ずったりしないように気をつけていた。


原作では、School(努める)というほどキノが自分の感情を抑える事に苦労しているようには見えない。もしそうだとしても、わざわざ明文化するような事を時雨沢氏は好まないだろう。こうした改変について訳者は「読者にキノがどのように考えているか分かりやすいようにするための、編集者の配慮であろう」としている。
このような感情的なキノの反応は、これより後にも何度か成される。

"You proposed the slaughter of the Tatana people? That was your idea?" The words left Kino's mouth before she could stop them.

あなたがタタタ人の虐殺を提案したんですか? あれはあなたの案なんですか?」 その言葉はキノが押し留めようとするより先に出てきた。


また、有名な台詞である「今のあなた方が間違っているのか、それとも昔の人々が正しかったのか」だが、ここはやや説明的な台詞にリライトされている。

"Curator, I don't understand your reasoning. Perhaps in the new version of war the combatants don't die but innocents do. At least with the old way, those who died were those who fought. And their deaths were, in a way, of their own choosing. The Tatana people have not chosen to fight or to die."

「館長さん、ボクはあなたの説明では納得できません。確かに“新しい戦争”では戦闘員は死なないかもしれませんが、何の罪もない人たちが死んでいます。少なくとも“古い戦争”では、死ぬのは戦っている人たちだけでした。彼らの死は彼らの選んだ結果です。タタタ人は戦うことも、死ぬ事も選んでません」


ちょっと説明的すぎるというか、原版のキノはここまで批判的になれる性格ではないような気がする。


・重要な小道具だのに

「平和な国」の最後で、危害を加えようとするタタタ人の青年をキノが撃ち殺すシーンだが、ここでは原作既読者にはビックリな改変が成されている。

She had meant only to break the staff, but the bullet had deflected. She started to say something, to deny that she'd intended to kill, but she could only watch silently as the thirsty earth swallowed up his blood.

キノはただ青年の持つ棒を撃とうとしたのだが、銃弾は予期しない方向に跳弾してしまったのだ。キノは何かを呟いていた――決して意図してやった事ではないと言い聞かせるように。だが、ただ乾いた地面に青年の血が吸い込まれてゆくのを黙って見ているよりなかった。


「キノ」という人物像から鑑みるに、旅路を邪魔する人間に対しては武力行使も辞さない筈なのだが、英訳版では「殺すつもりなんてなかったんだ!」とでも言い出しそうな調子である。
筆者もは当然このシーンに違和感を覚えたが、後に訳者であるアンドリュー・カニンガム氏も「決定稿を見たら自分の訳が採用されず、作品のテーマを根底から覆しかねない改変に私自身驚いた」と述べている。
どうしてこんな改変が行われたのかは、英訳版の編集者以外に誰も知り得ない。
また、このシーンの後にさらなる改変が行われている。

"What's that?" he asked.
"A gift...for the sprit of the dead."
Kino knelt by the dead man and placed her silver cup on his breast.

「何それ?」エルメスが訊ねた。
「贈り物だよ……この人の霊のための」
キノは死んだ青年の傍らに跪き、銀色のカップを死体の胸に乗せた。


『キノの旅』ではI巻以降でも度々登場する銀色のカップが、"The Land of Peace"では容赦なく置き去りにされているのである。
ここはもう擁護のしようがない。
改変ってレベルじゃねーぞ!



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