"Prologue"(原題:「森の中で・b」)
"Epilogue"(原題:「森の中で・a」)




Kino No Tabiの中では、この両編に関して『キノの旅』のように「森の中で」に類するタイトルがつけられておらず、ただ「プロローグ」「エピローグ」としか題されていない。
また、本自体がLinear narrativeとして編集されているにも関わらず、"Prologue"と"Epilogue"のみ内容的に原版に準拠(時系列的に"Epilogue"→"Prologue")している。『キノの旅』シリーズの特徴でもあるだけに、ここだけは手を加えられなかったのだろう。


・三段論法

まず時系列的に"Epilogue"から。
ここではエルメスの得意である成句或いは専門用語の言い間違いが出てくるが、言うまでもなく「三段論法」は日本語である。それを如何に英語に訳すかというのがこの話の最大のポイントだが、"Epilogue"では原作の雰囲気をそのまま(もしかしたらよりコミカル)に仕上げている。

Hermes said professiorially, "Kino, you ever heard of a syllogog?"
"Is that like a goblin or something?" She sat up. "You're not afraid that there's something lurking in the forest that eats motorcycles?"
"No! You know, a syllo-something. It's a sort of argument. You know: all penguins are birds; birds fly; therefore penguins can fly."
"Penguins can't fly," Kino observed.
"Okay. So, it doesn't work so well for penguins, but you get the idea. What's that called a ―Syllo―"
"A Syllogism?
"Yeah, that," said Hermes, and fell silent.
Kino waited a moment for him to continue. He didn't. Good giref.

エルメスは教授のように言った。「キノ、シロゴーグって聞いたことない?」
「それはゴブリンか何かかい?」キノは起き上がった。「森の中でモトラドを捕って食べる怪物がいやしないかと心配なのか?」
「違うよ! ほら、シロ何とかだよ。論証の方法さ。ほら、ペンギンは鳥である、鳥は飛ぶ、故にペンギンは飛べる、ってな感じのやつ」
「ペンギンは飛ばないよ」キノが言った。
「まあいいや。じゃあ、きっとペンギンには通用しないんだね。でもどんなのかは分かったでしょ? なんて言うんだっけ、シロ――」
シロギズム?」
「そうそれ」そう言ってエルメスは黙った。
キノはエルメスが先を続けるのを待ったが、黙ったままだった。やれやれ


"Syllogism"とは英語で言う「三段論法」ないし「演繹的推理」の事である。"Syl-"はギリシャ語の接頭辞であるSyn(「共に」「同時に」)の変化形、"logism"はギリシャ語のLogiki(「言葉を伝える」が原義。後に「思考」)に由来する。
"Syllogog"というエルメスの造語がネイティヴにとってどのような響きに聞こえるのか、何故キノがゴブリンを連想したのかは、生憎と筆者の不勉強で分からない。いつか機会があれば尋ねてみようと思う。Logogって何だろう。
ついでに、この後に"Syllogog"について皮肉めいた描写がある。

She never knew when she might encounter something in the dark of night, especially in the great, leafy, whispering woods. Maybe even a motorcycle-eating syllogog.

キノが夜闇の中で何かに出くわしても、気づく事はできなかっただろう。特にこんな深く、葉が生い茂り、ざわめく森の中では。もしかしたら、モトラド喰いのシロゴーグでさえも


原作の静謐な雰囲気をぶち壊しにしているといえばまあ、そうなのだが。


"Prologue"については、短い話だということもあって、特に語るべき場所や改変された箇所はない。おそらく『キノの旅』からの改変や追加がもっとも少なかった話であると思うので、筆者の無粋な指摘は不要だろう。
Kino No Tabiについては以上である。



謝辞。
まず『キノの旅』の翻訳を手がけられたアンドリュー・カニンガム氏にお礼。当駄文ハイムに「キノ辞典は役に立った」という旨のメールが来て早1年と半分が過ぎようとしていますが、名作の英訳を手掛けられた氏とお知り合いになれたというのは、筆者にとって光栄な事であり、またこれからも変わらず名誉であり続けるでしょう。
あと筆者の個人的な知り合いである、気さくなイギリス出身の某氏。このポンコツ頭が解せない文意を尋ねるために、酒の席で何度もペーパーバック片手に詰め寄って申し訳ありませんでした。

最後に、個人的かつ主観に満ち、半開な部分も多々あったであろうこの解説を辛抱強く読んで下さった方にサンクス。


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