不死。

――『アウリス・ヴルピス』




As time goes by



 冷たい風が、夕陽に照らされた草を静かに撫でていった。
 星見の丘にも秋の気配が忍び寄ってきたのを感じて、ライは寒さに対してそうするように、身をぎゅっと竦ませた。
「どうしたの?」
 隣に腰を下ろしていたリシェルがそう訊ねたのを、ライは何でもないという風に首を振って答えた。夏の終わりは嫌いだった。夕焼けもなんとなく苦手だった。秋は楽しい季節の、夕陽は一日の終わりを殊更に強調して、詮無い喪失感を胸に沸き立たせるから。
「――悪い。ちょっと涼しくなってきたな、って」
「そういえばそうね」
 リシェルは足元の草を一房ちぎり取ると、それを風に向かって投げ付けた。そしてそれが風に運ばれて散ってゆくのを見ながら、
「――どこまで話したっけ」
「派閥の考査をパスした、ってところまで」
 そうだった、とリシェルは小さく呟いた。夕陽はその姿を山の稜線に隠しつつあって、空は黄昏の色と紫のグラデーションに変化しつつあった。
「……だから、あたしももうすぐ派閥の正式な召喚師になるわけ。でもその前に、色々やらなきゃいけない事とか――研修やら何やらがあるから、しばらく忙しくなりそう」
「だろうな」
 ライは当り障りの無い返事をしながら、この話の続きを明日に延ばせたら、果たして自分はそうするだろうかというような事を考えていた。
「だから。――そもそも、しばらくこの町から離れる事になるかも」
「うん」
「だから」
 何回目かの「だから」を繰り返した後、リシェルは黙り込んで、指先で弄っていた草の葉にじっと視線を落とした。まるでそこに、言うべき言葉が見出せるとでもいうような風だった。
 そして、ライは彼女が言葉を紡ぎ出すのを、じっと見守っていた。
「だから――しばらく、お店の方は手伝えないかもしれない」
 分かりきった事だった。
 彼女に夢があって、それに向かって努力していた時から、そんな事は分かりきっていたのだ。
 だから、ライは答えた。
「そうか」
 それ以外に言うべき言葉が見つからなかった。
 何を言っても、自分の言葉はリシェルの後ろ髪を引く以上の効果は持たないと、ライはそう思っていた。リシェルが長年抱いてきた夢を手にしようという時になって、そんな事が出来るはずがなかった。
 だから、何も言わなかった。
「……それだけ?」
 拍子抜けしたような声。
 顔を上げると、どこか呆れて憮然としたようなリシェルの表情があった。期待外れの何かを掴んだ時のような色が、焦茶色の瞳の中で揺れ動いていた。
「それだけって……」
「寂しいとか、早く帰ってきてとか思わないわけ?」
 その意味を判じかねて、ライは思わず眉をひそめた。
「別に」
 心から何とも思わないと言えば嘘になるが、それをこの場で吐露しようとは思わなかった。ライがそう考えていたのを知ってか知らずか、リシェルはいきなり表情を和らげて、いつもの瓢げた口調になって、からかうように言った。
「あんたってそういうトコ可愛くないわよね。素直じゃなくて」
 こいつだけには言われたくない、とライは思った。
 もちろんそんな事は口には出さず、彼はリシェルと同じような、唇の片端を吊り上げるような笑みを口に浮かべた。皮肉の応酬には皮肉に限る。
「じゃあ何だよ。オレが素直だったらもっと可愛いのかよ」
 そう言って、ライは笑った。
 リシェルは笑わなかった。
 自分の軽口が不発に終わったのか。そう訝りながらライが視線を上げると、リシェルが今まで見たことのないような表情でこちらを見つめていた。形容することも難しい表情だった。秋の気配を孕んだ風が、夕焼けと同じ蜂蜜色の長い髪を静かになびかせていた。
「……可愛いわよ」
 今度はライが言葉に詰まる番だった。
 抱えた膝に顔を押し付けた。頬が熱を持っているように感じるのは、冷たい風に晒されていたからだと思おうとした。そして、今こうやって子供みたいに膝を抱えている姿をみたリシェルが何を思っているのかと想像すると、なんだか余計に恥ずかしくなるのだった。
「……とにかくさ」
 しばらくして、ようやく顔を上げたライは言った。
「できるだけ早く帰って来てくれよ。ウチだって忙しいし、お前の手伝いがないと、正直辛いんだから」
「わかってるってば」
「でも無理はすんなよ」
「はいはい」
 そう答えて、リシェルはいつもの自信に満ち溢れた笑顔を見せた。
 その笑顔を見ながら、ライも気恥ずかしそうに頬を掻くと、静かに笑った。


続いてたまるか!









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