Since I don't have you



 大樹の根元に長く座り込んでいると、頭の中で繰り返す言葉がだんだん呪詛じみたものになってゆくのが分かる。
 どうしてだろう。おれは彼女を恨むつもりなんか毛頭ないはずなのに。

 ――どうして行っちゃったんだ。

 アメル。
 待つという事がこれほどまでに辛いものだとは知らなかった。もしかしたら、今までに何かを待つという経験をした事が少なかったせいかもしれない。
 今のおれだって、単に生きているだけだ。明日の太陽を見たいから生きているのではなくて、ただ過去の思い出に浸るためだけに生きているだけだ。
 ひどい有様――アメルが見たらなんと言うだろう。
 今の俺には想像できないが、おそらく優しく憐れみのこもった言葉か、叱るようにして励ますか……どちらでもいい。どれだけ不愉快な言葉を吐かれてもいい。
 アメルが声を掛けてくれるなら、それに勝る喜びなどおれには存在しないのだから。
 目を閉じる――瞼の裏に浮かぶアメルの姿。記憶の中のアメルは歳を取らないし、哀しい顔をしたりしない。いつもおれに向けていたような笑顔だけを浮かべていてくれる。
 情けない自慰行為。
 だが、それが単なる幻想や妄想の類だと分かっていてもそれにすがらなくてはいられない時がある。今のおれは調律者でも何でもなくて、地面を這うその辺の弱い男と同じだ。
 記憶の中のアメルがはにかんだような笑みを浮かべて近寄ってくる。両手を広げて、おれを柔らかく包むように抱き締めてくれる。
 母親に抱かれているような――おれは母親なんて知らないのに――安心感。それは彼女がアルミネの末裔として身に付けていた癒しの能力とは関係無く、ただ抱かれているのがおれの大好きな少女だということに起因するものだと思った。
 頬にアメルの長い髪の毛が触れる。柔らかくて、温かくて、愛おしくて、そして切ない――

「おにいちゃん」

 アメルが消えた。
 目を開くと、そこは大樹の根元、草の生い茂る地面だった。頭のどこかではまだアメルの記憶の残滓にすがりながら、おれは夢を邪魔した人間を見上げた。
 ハサハ。
 喋ろうとしたら、喉の奥が張り付いていてひゅーという音しか出なかった。一度唾を飲み込んでから、おれは言った。
「なんだよ」
 言葉に怒気を含めたつもりだったが、喉から搾り出されたのはかすれた声だけだった。
 おれの護衛獣。おれがこんなになっても、まだ心配して一緒にいてくれる唯一の存在。
だが――残酷な話かもしれないが、おれにはハサハが一緒にいてくれてもたいした意味はなかった。おれが求めていたのはあの栗色の髪をした少女が帰ってくる事であって、ハサハと一緒にいることじゃない。
「……げんき、だして」
「ああ……そのうちな」――アメルが帰ってきたら。
 自分でもそうだと分かるほどに気だるい動作で頭を持ち上げて、背にした大樹の幹に頭をもたせかける。上を向いた俺の目には、幾本もの枝と無数の葉の隙間から曇り空が覗くのが見えた。  雨が降るかもしれない。そうすれば、アメルも――大樹も喜ぶだろうか。
 深く息を吐くと、肋骨が軋んだ。口と目が半開きになっているのが分かる。まるで白痴のような顔。
 視界の端にハサハが映った。そしてかがみ込んだのか、視界から消える。
 手首を掴んで、おれを起こそうとした。
「やめろ!」
 首を振り戻して手首を振りほどくと、そのとき初めてハサハに掴まれたおれの手が痩せているのに気が付いた。
 急激に頭を動かしたために視野狭窄を起こす――どうして拒んだのか自分でも分からなかった――ちかちかする目に、驚くハサハの顔。その哀しげな顔を見て、おれは思わず目を閉じた。
 そんなに憐れむような目で見ないでくれ。
 おれの心配をしないでくれ。
 ハサハがするように、おれにはハサハを愛する事はできないんだ。
「おにいちゃん……」
 目を閉じた暗闇にハサハの声。そのおれを慈しむ行為が自分に対して何も報われないと分かっているのだろうか。
 だとしたら、ひどく残酷すぎる。
「おにいちゃん……そんなんじゃ、おねえちゃんが心配するよ……?」
 その言葉を聞いたおれの心の中に、昏い炎がともった。ハサハにあの子の何が分かる。
「アメルおねえちゃん、きっと心配して……」
「言うな!」
 あまりの大声に自分の喉が悲鳴を上げた。喉から血が出るのではないかと思ったほどだが、それでもおれは叫んだ。
おれのアメルの話をするな!」

 雨が降ってきた。
 もちろん俺は大樹の葉の隙間から落ちてくる雫に濡れるままで、ハサハもそうしていた。ただ、二人とも黙っていた。
 雨が降り続く断続的なざーっいう音と、時折大きな雫となって落ちるぽたぽたという音だけが耳を震わせていた。
 まるで沈黙が降っているような錯覚。
「……そうだよね」
 なにが「そうだよね」なのか……その言葉の意味を図りかねておれは恐怖した。
「ハサハがなにを言っても無理だよね……。だっておにいちゃんが好きなのはおねえちゃんで、あたしじゃないから」
 分かってたのならどうして来たんだ
「ほんとはね……おねえちゃんがいなくなったら、おにいちゃんがハサハのこと好きになってくれるかな、って少しおもってたの」
 顔を上げる。濡れて張り付いた前髪でぼやけた仕切りが下ろされた視界の向こうで、ハサハが自嘲するような、とても悲しげな笑いを浮かべている。
「でも、おにいちゃんはおねえちゃんが好きだから……アメルおねえちゃんが帰ってこないとどうにもならないのかもね……」
 そう言うと、ハサハはおれに背を向けた。
 待ってくれ――おれは言おうとして、それでも声が出なかった。行かないでくれ
「……ごめんね」
 謝る必要なんてないのに。
 ハサハの背中が遠ざかる。
 おれの中で幻影になりかけているアメルとの過去を、かつてあった事だと証明してくれるおれの護衛獣が。
 頼む――行かないでくれ


 ハサハが行ってしまったあと、おれは再び頭を後ろに倒して大樹を見上げた。露に濡れた大樹は……アメルはどこか幸せそうに見えた。
 おれは目を固く閉じた。顔を打つ雨の雫も気にならなかった。
 おれがこうして雨に濡れていても、絶望の淵で打ちひしがれていても、アメルはきっとどこかで世界を救ったときのような幸せな気持ちに包まれて、いつか帰る時を待っている。
 そう考えると、おれとアメルの間には深い断絶が横たわっているような気がした。
 再び妄想の殻に閉じ篭ろうとする。過去の記憶の欠片にすがりつこうとして、アメルの姿を思い浮かべる。
 だが、今はアメルがひどく遠く感じられた。
 
 雨が上がる。雲の隙間から陽が差す――場違いなほど神々しい光景。
 おれの頬を流れる雨が、なぜか熱かった。





確か当初はネタとして書いて披露したものだった気がします。
エルロイ風サモ2、とかなんとか題して。


『昔書いたものを手直ししてアップするほどに現在進行中のSSの製作が滞ってるのか……』とか思われた方。
すいませんその通りです



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