編上靴を履いた猫




編上靴を履いた猫







へんじょうか、と読む。

それは脛の下あたりまである長い靴で、紐穴は7つで、黒い皮革部分は磨かれて光っていた。靴底はごつごつしたブロック状で砂が詰まりにくくなっていて、そして編上靴本体は誰もが驚くほどにサイズが大きかった。
編上靴の持ち主は猫のような耳を持った少女だった。といってもこのバカでかい靴を履いているわけではない。少女自身はきちんとしたサイズのものを履いている。
少女は文字通りこの編上靴を所有しているのだ。履いたこともなければ、自分のものだと言った事もない。ただいつも寝る前に磨き上げ、そして行く先々の街で訊くのだ。
――この靴を履ける人を知りませんか。
誰もが首を振った。こんな大きな足の持ち主はいない、と。
その度に少女は耳をぐったりと垂れて、尻尾もだらんと下げた。そして気を取り直して、再び次の街へ向うのだった。


少女は一人の青年を連れていた。彼は体格も恵まれてはいたが、それでも少女の持つ編上靴を履けるほどに大きくはなかった。
二人は延々と荒野を歩き続けた。遠く地平線に見えるどこかの街を目指しながら、もしかしたらそこに居るかもしれない、この大きな編上靴を履ける人を探しながら。
――それは一体誰の靴なんだい?
青年が尋ねた。少女はいつものように編上靴を磨きながら、猫のように笑って言う。
――わたしの大切なひと。
――どこにいるんだい?
――ずっと前にしんじゃった。だけど生まれ変わって、またどこかに住んでる。
青年は微笑んだ。
――それを探してるのかい?
――うん。
少女は靴を磨いていた布を折り畳み、保革油の缶をしっかりと閉じた。そして大事そうにバッグの中へしまう。
――その靴はそれに関係あるのかい?
少女は大きな欠伸を一つして、尻尾をぱたりと動かした。
――あるよ。
――どんな?
――ひとは生まれ変わっても足の大きさは変わらないの。あのひとはとても足が大きかったから。
――その靴にぴったりの人が君の探している人?
――うん。
砂の上に、少女はごろりと横になった。彼女が履いている小さな編上靴の靴底が、青年の方を向いた。


汚染された雨の降る日も、電磁波の降り注ぐ太陽の照る日も、少女と青年は荒野や小さな街を歩き回った。そして行く先々で編上靴を見せて、そして尋ねるのだった。
――この靴が履ける人を知りませんか。
誰もが首を振った。もしかしたら、という人もぶかぶかな、それくらい大きな編上靴だった。
それでも少女は毎晩その靴を磨いて、大事に抱いて眠った。


少女は時々、顔色が悪くなったり咳き込んだりすることがあった。
回数を重ねるごとに苦しさが増すように見えて、具合が悪くなる度に青年は慌てた。
――だいじょうぶ。なんともないよ。
青年に背中を撫でられながら、少女はそう答えた。
編上靴に合う大きな足を持つ人間は、まだ見付からない。


ある日、少女は言った。
――この旅もそろそろおわりかな。
青年は何のことか分からないという顔をして訊いた。
――どうして。
――もうすぐ会えそうな気がするの。夢で見た。
そう言うと、少女は突然咳き込んだ。青年が慌てたようにその背中をさすり、少女は少量の血を口から吐いてから大きく息をついた。
――大丈夫かい?
――寝てればなおるよ。
そう言うと、少女は顔いっぱいに猫のように柔らかい笑みを浮かべた。そして砂の上に丸くなると、小さく寝息を立て始めた。
――旅が終わったら、僕はどうしたらいい?
青年は少女に聞こえるように呟いた。その時の少女には既に青年の声が聞こえなくなっていた。


次の朝、少女はいつまで経っても起きなかった。
青年はその亡骸をきちんとした格好にして、砂の上に横たえて、そして小さく疑問の言葉を呟いた。
ちゃんと会えたか、と。
少女は何も答えず、ただ眠っているような静かな顔で横たわっていた。


日が昇りきった頃には、既に青年の姿もなかった。猫耳の少女だった死体は眠っている時と同じ顔で、砂の上に仰向けで置かれていた。胸の上で組み合わされた手は、最後まで大事に磨いていた大きな編上靴に添えられていた。
そして、少女の小さな足は裸足で、靴は履いていなかった。
誰も来ない荒野の真中で、少女の死体は時の流れに朽ちて、風が運ぶ砂がそれを埋めて、いつしかそこは元の荒野の風景に戻っていた。





それから何年も経った時だった。
一人の男が街にやってきた。男は手にした小さな編上靴を掲げて、そして街の人々に尋ねるのだった。
――この靴を履ける人を知らないか?
人々は揃って首を横に振った。こんなに小さな足の持ち主は知らない。
誰かが好奇心に動かされて男に尋ねた。なぜそんなことを訊くのか、と。
男は答えた。
――人を探しているんだ。
さらに訊いた。それはどんな人間か、と。
――分からない。でもあの子は足が小さかった。この靴が履ける人がいたら、それはきっとその子だと思う。
そう言うと、男は街を去った。


それから男がどこへ行ったか、誰も知らない。








――何だっけ。いつだか『長靴を履いた猫』のタイトルだけパロって作品を書いてみようと思い立ちまして、猫耳少女登場だけ書いて、電撃的に飽きて設定作るの放棄したんですよ。確か
で、これまた電撃的に話を思いついてじゃあ忘れないうちに書いちゃえ、と。
そうやってできた割とインスタントな話です。特に深い意味なんてのは持たせてません。ただの話です。


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