10月 2日(月)
才人「モビウスワン、エンゲージ」(挨拶)



引き続き『ゼロの使い魔』を読書中。
最初こそは公式にもアナウンスされている通り「ラブコメ」としての体裁を保っていたこのシリーズですが、話が進むごとにどう考えても中世ヨーロッパの縮図な魔法世界に不穏な空気が漂い始め、4、5巻あたりからは完全に戦争ドラマと化しました。
戦争ドラマです。
それも歩兵による地上戦が主だった、中世の戦争。
ラブコメはどこにいっちゃったんだ?
なんていうか、矢継ぎ早に展開する、ラノベにしてはあまりにもリアルな「戦争」というものの描写に、「下働きのメイドさん(おっぱい大きめ)に迫られる才人君」とか「バッドなお薬でトリップしたルイズたん(ぱんつはいてない)によって身体中にキスマークを量産される才人君」といった萌えシーンも霞んでしまいます。
才人このやろ俺と代われ終いには「戦争の大義」とか「“名誉の戦死”の是非」などというラブコメには不要かつ重過ぎるテーマが登場してくる始末。
著者たるヤマグチノボル氏が書きたかったのは、実はコッチだったんじゃないかと勘繰ってみたり。


それにしても、この「一部勢力が権力を握った国が戦争を仕掛ける → 思いっきり敗退 → 報復戦争 → 泥沼化」ってパターン、どっかで見たような気がするんですが。
……ああ、そうだ。
アレだ。

15年前――戦争があった。
いや――戦争ならば、遥かな昔から幾度と無くあった。
彼等は北辺の谷を出で、南の土地を目指して侵攻を繰り返した。
運に恵まれぬ彼等に、勝利が続くはずはない。
彼等は時代が変わった事に気付かなかった。
敗戦を繰り返しては領土を失い、小国に戻りつつあった彼等は、
比類なき工業力を養い、
世界に向って、最後の戦いを挑んだ



……なんということでしょう。『ゼロの使い魔』とは単なるラブコメに留まらず、戦争の中ではただの一つの駒、戦争という名の病気((c)小林源文)の一つの病原菌に過ぎない魔法少女ルイズ、その使い魔・平賀才人たちの誰にも称えられることのない活躍を描いた感動作品だったのです。
その強大すぎる力ゆえに、自らの実力を知らしめることを禁じられ、誰に理解されることもなく、ただ黙々と祖国を勝利に導くために邁進する――『ゼロ魔』とは、歴史には決して書かれることのない、彼らの謳われない戦争(ジ・アンサング・ウォー)の本だったのですよ!

戦端は唐突に開かれた
戦争を支えるもの、それは……
勇気ではなく、憎しみ
絆によって結ばれた彼ら
しかし失意は翼をもぎ
疑惑は灯火をかき消す
全てを捨て去ることが求められ
奇跡を起こすことが義務付けられた日
信じる心のみが彼らを導く
希望の代償
真実は、ただひとつ


嗚呼! 7巻あたりでは、遂に進退窮まったアルビオン軍が「虚無」の魔法ならぬ戦術核7発で自爆するんですね!? 才人君が戦争の意味に悩んだ挙句ルイズたんに背後から攻撃を仕掛けた挙句脱走ですね?
最新刊の8巻では、戦争終結後の平和な世界で、それぞれの見出した「戦う理由」を胸にルイズと才人がお互いの存在意義を賭けたガチバトルが繰り広げられるのでしょう。そうに決まってます。ファイアウェイ、カゥワード!
――なんていうか自分でも突っ込むのが面倒なんですが、一応形式的にやっておきますか。
それじゃジ・アンサング・ウォーじゃなくてザ・ベルカン・ウォー
でもゼロだからザ・ベルカン・ウォーの方がピッタr(ry


……つくづく思うんですが、オレってどうしてこういう本の読み方しか出来ねェんだろうなァと。
萌えるどころか、健全な思春期の男の子なら精通モノのドキドキ場面を目にしても、大して感慨が沸かないのはどういうわけですかしえさん。

1.粗製濫造されて世に溢れる「萌え」によって耐性がついてしまった
2.ハサハ主義に基づき、禁欲的生活を努めている
3.自転車のサドルがしえさんの男性機能を徐々に奪っている

……さァーて、どーれだ(怯えながら)



10月 5日(木)
正しき人は永遠に記憶され(挨拶)



ここ数日の日記を見た知人「プロヴォ」氏から、「頼むから、あの萌える『ゼロ魔』をこれ以上穢さないでくれ」と懇願されてしまいました。
確かに、最近は「ゼロ魔=戦争スペクタクル巨篇」というアホみたいな主張を繰り返してきましたから、純粋なファンの方はさぞかしお怒りだろうと思います。しかし本の読み方は人それぞれ、同様に、作品の内容をどう解釈するかという事も人それぞれだと思います。
むしろ紋切り型の「萌え」に作品の価値を集約させるよりも、物語としてのドラマ性、戦争というものに対する登場人物たちの姿勢、国家というものが自らを存続させる上で見せる非情さなど、そうした部分に魅力を見出す人の方が多いのではないでしょうか(※ゼロ魔はライトノベルです)
……まあ何でしょうか、小難しい事並べ立てても埒が開きませんから率直に言っちゃいますが、Chenowthの脳内では既に『ゼロ魔』はこういう物語として認識されているのです。



▲『ゼロの使い魔』 ザ・ハルケギニアン・ウォー


もう手遅れだ
……そういやもうすぐキノの新刊ですが、こんな調子でマトモな読み方が出来るのかしえさん。



10月 7日(土)
来たる災いにも臆しないでしょう(挨拶)



掲示板でも書き込まれていましたが、『キノの旅』の英訳版がそろそろ巷に出回り始めているようですね。
「ようですね」というのは、そう――何を隠そう、しえさんはまだ手に入れてません
別に『ゼロ魔』に執心するあまり忘却の彼方とか、近所の本屋では洋書を扱っていないとか、そういう訳じゃないんですよ。きちんとAmazonに予約注文もしていました。
それなのに、何でまだ送ってこねェんだこのトチアマ(←サイラス風味)……と、とりあえず予約注文状況を確認してみるChenowth。
そしたら。





……………






馬鹿も休み休み言えAmazon
……まさかこの身を以ってAmazonでOK→Konozamaを味わうとは思いませんでしたよジーザス・ホーリー・クライスト。この受け入れがたい現実をモニター越しに確認した瞬間、しえさんは思わずアンリアル・トーナメントが起動しない事にキレるドイツ人少年のように憤慨してしまいました。
シュピーレン! ドゥ、ヴィクザー! シュピーレーン!(キーボードを破壊しつつ)


仕方ないので、明日あたり紀伊国屋にでも行って探してこようと思う次第。でも扱ってるかどうか、疑わしいモンだなァ……。
何より不安なのは三流文系私大卒のしえさんに読めるかどうかという事だったり。一応英文科だったけども、所詮昔取った杵柄ですからね。ページを開けてみたら歯が立たなかった、とかフツーに有り得そうな話です。


閑話休題。
今日は久々の晴れ休日だったので、しばらくご無沙汰だったチースタヤ・ハサハ号を繰り出して乗り回してきました。
出発前にドリンク(3倍希釈ポカリ)をボトルに詰め、サイクルジャージを着込み、背中のポッケに財布と鍵とヤマザキ薄皮あんぱん(←分かる人だけ笑ってください)を差し込み、タイヤの空気圧を確認し、ブレーキを確認し、全ての準備が整ったところでいざ出発。

サイクルメーターが動作しねぇ!

……普段なら、走り出したところで「15km/h」とかスピードが表示される筈なのですが、いくら漕いでもウンともスンともホザンナとも言いやがりません。自宅に引き返し、持てる限りの工具を持ってメーターを分解。
結果、原因は不明ですがセンサーが反応しなくなっておりました。内的に断線したか、でなきゃ雨水などが染み込んで電気的に故障したんでしょうね。何がウォータープルーフだTOPEAK
とりあえず、サイクルメーター無しで出発。その足で自宅から10kmほどの場所にある自転車屋さんへと向かい、新たなサイクルメーターをゲットしてきました。
新メーター、その名も『COMP 140』
そうです。
トピーク製です
……言ってる事と実際にしてる事が合ってませんよしえさん。


さて『COMP 140』というメーターは、今回故障した『COMP 130』の上位機種にあたります。コレには速度表示や走行時間などの通常の機能に加えて「ケイデンス測定」という機能があります。
ケイデンスとは何ぞや? という人に説明しますと、簡単に言えば「一分間で何回ペダルを回せるか」という数値のことを言います。単位はrpm。
自転車には適正なケイデンス値というものがありまして、多すぎても少なすぎてもエネルギーのロスが大きいと言われています。しかしペダルの回転数というものは体感的に把握しづらく、多くの人は効率の悪い走りをしがちだったりするのです。
しかし、ケイデンス測定機能付きのメーターが手に入ればもうこんな悩みとはオサラバですよ! キッチリ80rpmで回して、ハイクオリティかつ疲れない走りが実現できるのです!

そうと決まればさっそく取り付けですよ。速度計のセンサーとは別に、独立したケイデンスセンサーをフレームのチェーンステーに、センシング用マグネットをクランクアームにタイラップで固定して、いざテスト運転。
速度表示、問題ナシ! 続いてケイデンス表示、

動かねぇ

……よく見たら、センサーとマグネットの間隔が広すぎました。でも、一番近づけてあの広さなんですよねェ……
チースタヤ・ハサハ号はその構造上、ボトムブラケットの軸長が長く、クランクとフレームとの距離が開きすぎてるわけです。そのため、この問題は容易には解決できないんですね。技術的には「クランクセットをコンパクトクランクに換装する」というさほど困難なものでもないんですが、金銭的に死ぬほど辛いのです。
……とりあえずスペーサー噛ませて嵩上げするしかないかなァ……



10月 9日(月)
あなたがたがハサハを選んだのではない(挨拶)



今日はお休みを貰っていたので朝10時頃まで寝ていたんですが、起きたら北朝鮮が核実験敢行というニュースが入ってきました。
タチの悪いジョークだ
……いや、別にこのニュース自体がジョークだという訳じゃないんですが、このお世辞にも安定しているとは言えない情勢下に核実験をする北朝鮮の態度がまるで冗談みたいだなぁ、と。
まあ、大した威力でもなかったようですし、中国や韓国を始めとした我々アジア同胞が「北朝鮮空気嫁」という意見で一致団結しているところを見ると、今回の北朝鮮の壮挙はどう見ても全てが裏目に出てるようですが。
なんだか可哀想になってきた。がんばれ金正日。


「キノ辞典」を更新しました。
新刊はなんと言うか、今までの『キノの旅』シリーズとは違った路線を走り始めたような印象を受けましたね。それまでは「現実の非情さと過酷さを皮肉たっぷりに書き綴った寓話」とでも言うべき作風でしたが、十巻はなんだか「救い」のある話が多くなった気がします。
あとはアネクドート風なショート・ショートが増えましたかね。昔の星新一を見てるようで、小気味いい作風が気に入りました。
辞典はいつも通り偏見たっぷりですが


今日の出来事はそれくらいです。
北朝鮮の核実験も大成功(※大本営発表)に終わり、まだ世界は平和のうちにありますから、一応は安心して生きていけます。
これで弾道ミサイル迎撃用のPAC3の配備に反対するアカ共がいなければ最高です。
国防の要をどうしてくれるつもりですかウチナンチュー。



10月15日(日)
ハサハがあなたがたを選んだのである(挨拶)



英訳版のキノがようやく届きました。
とりあえずざっと斜め読みしてみたんですが、電撃文庫版では『「森の中で・b」→「人の痛みが分かる国」→「多数決の国」→「レールの上の三人の男」→「コロシアム」→「大人の国」→「平和な国」→「森の中で・a」』という構成になっていたのが、英訳版では『「森の中で・b」→「大人の国」→「人の痛みが分かる国」→「多数決の国」→「レールの上の三人の男」→「平和な国」→「コロシアム」→「森の中で・a」』という、原版と比較するとより時系列通りに並び替えられた構成になっております。
「大人の国」を冒頭に持ってきたことで全体的な精彩さを欠いたような気もしますが、牛肉食いすぎて脳スカスカなメリケンには原版の構成は理解し難いのでしょう。同様に「三人称が『男』/『女』じゃ誰が誰だか識別しづらい」という理由で(本当か?)原版では無名だった登場人物たちの幾つかにも名前が付けられています。
例えば、

「人の痛みが分かる国」の「男」 → Kyoshi
「多数決の国」の「男」 → Kanaye


異国情緒溢れすぎだよアンドリュー
他にもTaroとかYasuoとか色々出てきましたが、なんだが馴染みのある名前ばかりで微妙な感じが。まあ、メリケンから見ればまた違った印象を抱くのでしょうが。
今度誰かに読ませてみようかなー。


ちなみに、どう訳すのかと楽しみにしていた「森の中で・b」の『三段論法』に関するエルメスの言い間違えですが、こんな風になっていました。

「キノ、シロゴーグ(Syllogog)って聞いたことない?」
「何だいそのゴブリンみたいなのは?」彼女は起き上がった。「まさかモトラドを食べる怪物が森の中を歩き回ってると心配してるのかい?」
「違うよ! ほら、シロなんとかだよ。論証の一形態さ。ほら、ペンギンは鳥である。鳥は飛べる。故にペンギンは飛べる、ってやつ」
「ペンギンは飛ばないよ」キノが反論した。
「ああそう。じゃあ、ペンギンに関しては機能しない方法なんだよ。でもどんなのかは分かったでしょ? シロなんとかってやつ――シロ――」
「シロギズム(Syllogism:三段論法)?」
「そうそれ」そう言ってエルメスは黙った。


……秀逸だと思いました。いやほんとに。
おそらくエルメスはデマゴーグ(Demagogue)とシロギズム(Syllogism)を混同してしまったんでしょうね。ちなみに、ゴーグ(Gog)というのはTRPGワールドでは割とお馴染みなモンスターの名前でして、キノが「何そのゴブリン」と訊いたのはこの辺の事情に由来するのではないかと推測できます。
余談ですが、エルメスの例示しようとした三段論法が機能しないのは、これは「媒概念曖昧の誤謬」という演繹的推論の上でのエラーのせいです。演繹的推論とは「S=M」と「P=M」の二つの前提から「S=P」という解を導き出す方法ですが、このSとPの橋渡しとなるM(媒概念)の定義が曖昧過ぎると、演繹的推論自体が機能しなくなってしまうのです。
エルメスの「ペンギン」の例ですと、「鳥」という媒概念に関して鳥類であることのみを徒に強調し、シブリー・アールキスト分類法のようなより詳細な分類を怠ったのが原因だと考えられるわけです。
どうでもいいかもしれませんが、こんなこと


ともかく、英語版には英語版の魅力がたっぷりと詰まっておりますので、暇と少しのお金のある方は是非ご一読をされると宜しいかと。
特に学生さんなんか良いんじゃないですかね。お勉強に。



10月18日(水)
萌えるもののことで思い煩うな(挨拶)



前回の日記に続いて、『Kino No Tabi』を読みつづけております。
一応Chenowthはまがりなりにも英文科を出た人間ではありますが、卒業後の大学で積んだ実績とは何の関係も無い仕事に就職した都合で、ほとんどと言っていい程に英語を忘れておりました。そのため、一話読むだけで秋山瑞人の著書一冊分くらいの労力を消費してしまったりもします。
『ゼロ魔』換算だと4冊分くらい
いや、結構読んでて新たな発見があったりして楽しいのですが。「パースエイダー」や「モトラド」と言ったキノ世界特有の名詞なんかは悉く簡単な英語に(単純にHandgunとかMotorcycle)置き換えられておりますし、ヴェルデルヴァル(一巻『平和な国』の舞台)が「Veldeval」になってたりもします。
子音が一つ足りないぜアンドリュー
……いずれにしろ、Chenowthが辞典の方で勝手にでっちあげた「ヴェルデルヴァル=Waelderwall説」を否定する強固な根拠となりますねコレ。うわ、恥ずかしい。


ときに、秋山瑞人で思い出したんですが。
彼の処女作の『E.G.コンバット』の最終巻に関してはもう存命中に読むという希望を放棄してるので構いませんが、「よっしゃ、世はボーイ・ミーツ・ガールだ!」とばかりに発表した『ミナミノミナミノ』の続刊が発売する気配のカケラもないのはどういう事でしょうね。
個人的には『イリヤの空 UFOの夏』大ヒット → アニメ化 → 金ガッポリ → 秋山スポイルされるのコンボによって、飢えたる狼から満ち足りた豚へと落ちぶれたのではないかと思っておりますが。
……いや、ほんと良いモノ作るには自分を追い詰めるしかないと思ってます。こんなしえさんでも。
実際私生活の方がやや追い詰められ気味ですが
――キノの新刊が冴えに欠けてたのも、昨今のキノのメディア多角進出の影響なのかなァ、とか不吉な事を考えてみたり。


最後に、我らが偉大なる空に輝く白頭山の永遠にして金の明星、親愛なる指導者金正日将軍がまた核実験とか抜かしてるようで、安心して眠れない日々が続きそうです。
……いや、なんか不安じゃないですか。あんな軍事的な裏付けも何もないクセに態度だけはデカいと、どこまで本気なのか分からなくなってきます。合理性を無視してイデオロギーに走るという今時珍しいタイプの共産主義国家――あれ? 民主主義国だったっけ?
とりあえず、明日もまだ世界が存在してますように。



10月21日(土)
猫科動物のごとく萌えた(挨拶)



どうやら、アメリカ人的センスから言うと「主人公はトラウマがないと萌えない」ようですね。


何の話かと言いますと、Kino No Tabiのことです。
Chenowthの拙い英語力ですから正確に文意を汲み取るとまではいきませんが、それでも一応の流れは読み取ることができるようで、本日ようやく読み終える事が出来ました。
原版である『キノの旅』と逐次比較しながら読んでいたのですが、そのコンテクストの差異はもはや翻訳に伴なうレベルに留まらず、ほぼ別物な出来栄えとなっておりました。
特に英訳版で顕著だった変更点のは、主人公キノの性格でしょうか。巻頭に収録されている"Grownup Country"(「大人の国」)にて先代キノの死を目の当たりにした時の記憶が半ばトラウマとなり、その後最終話の"Coliseum"(「コロシアム」)までその体験がちょくちょくフラッシュバックします。
ノワール――真のノワールだ


また、原作では割と客観的だったキノが、英訳版では主観バリバリになっているのも大きな特徴だったと思います。
例えば"The Land of Peace"(「平和な国」)で、博物館の見学を終えたキノと館長の会話の終わりにこんなやりとりが追加されております。


"What I understand," said Kino, "is that it would be impossible for me to sentence anyone's children to die in the war."

「ボクに分かるのは」と、キノは言った。「ボクには誰の子供であれ、戦争という死地に追いやることは出来ないということです」



……おそらく『キノの旅』を読んだ事があり、キノという登場人物の性格を知っている方なら、誰もが違和感を覚えるのではないでしょうか。



他にも、英訳版では何故各話の収録順序が変更されていたのかという事も書きたかったんですが、それはまた次回の日記で。



10月22日(日)
うぬか ハサハを兎耳と呼びしはうぬか(挨拶)



引き続きKino No Tabiの話になります。今回は、各話の収録順序が原作と異なっていることについて。


先の日記でも書きました通り、英訳版では

「森の中で・b」("Prologue")
「大人の国」("Grownup Country")
「人の痛みが分かる国」("The Land of Shared Pain")
「多数決の国」("The Land of Majority Rule")
「レールの上の三人の男」("Three Men on the Rails")
「平和な国」("The Land of Peace")
「コロシアム」("Coliseum")
「森の中で・a」("Epilogue")


という順番で一巻が構成されております。
何故こんな構成になっているのか、購入したばかりでざっと斜め読みした時点では「原作の構成はメリケン人には難しすぎるから」とかアンクルサム大激怒な推測をしておりましたが、しっかり読み通してみると、実はその通りっぽくて慄然としました。
おそらく『キノの旅』ファンの方の中には、収録されている話の意味が分からず、前の話や他の話を読み返してようやく理解できた、という経験をした事がある方も多いと思います。典型的な例では五巻の「英雄達の国」の後編を読んでから、また全編を読み返すとか。
しかし今回Kino No Tabiを読んでいて、しえさんは前の話を読み返すような事は一切ありませんでした。
一度もです。
というのも、英訳版は通して読んだだけで内容が全て理解できるように構成されているのです。


一つ例を挙げましょう。
原作「人の痛みが分かる国」23ページのキノの言葉に「この前みたいに後一人しか残っていない、ってことはないよね」というものがあります。
これは次に収録されている話の「多数決の国」を読んだ後で初めて意味が理解できる文章ですが、英訳版の"The Land of Shared Pain"にはこれに相当する台詞は一切ありません。
代わりに、その次に収録された"The Land of Majority Rule"に原作になかった、エルメスの次のような台詞が追加されています。

"You think...you think the same thing happened here?"

「ねえ……同じ事が、ここでも起こったんじゃない?」


エルメスの言う「同じ事(The same thing)」が、"The Land of Shared Pain"で起きたテレパシーを可能にした薬とそれに起因する国民全員の引きこもり生活を指しているのは解説する必要もありませんし、これが原作「人の痛みが分かる国」のキノの台詞に相当する意味を持っていることも聡明な読者諸氏はお気づきだと思います。
ただ、原作版の読者がキノのこの台詞に触れた時点では「静まり返っていて人の存在が感じられない国」というものを知りえず、読み進めて「多数決の国」に触れたときになってようやく気付くのに対し、英訳版ではエルメスの台詞を目にした時点で、読者は既に「人の存在が感じられない国」を知っているという点に最大の違いがあります。
つまり、原作ではしばしば読者が初見で意味が理解できないような文章に頭を悩ませなければならなかったところを、英訳版ではすんなりと読み進める事が可能な構成となっているのです。


そういう訳で、Kino No Tabiは各話が独立していながら、それは時系列的に順序よく並び替えられた構成となっております。
キノの心理描写ひとつを取っても、"Grownup Country"で先代キノの死を目の当たりにし、度々その光景を思い出しながら、"The Land of Peace"ではタタタ人の死に胸を痛め(!)、館長の狂的な母性に自分の母親を重ね合わせ、そして最後には自らもタタタ人の青年を殺さなければならない事に矛盾を感じて葛藤します。
そしてその鬱憤を晴らすかのように、"Coliseum"ではハリウッド映画ばりの強気発言で兵士を挑発した挙句、対戦相手を次々と倒し、遂には王様をPG-12指定な方法で殺害して出国。最後は国のはずれの湖畔の水面に揺らめくを見つめながら、こう自問します。

Is that the way of the beautiful world? Does serenity always return even after the most devastating of shockwaves?

これが美しい世界なのか? なにもかも壊すような波のあとですら、いつか必ず戻る平穏さが?


――このように、原作『キノの旅』はただの主人公を固定した短編集と言っても差し支えない構成でしたが、Kino No Tabiはむしろ、キノが旅を通して成長してゆく物語とも解釈すべきものに仕上がっております。
おかげでChenowthは、「ある作品の英訳版」としてではなく、どちらかというと「新しい物語」としてKino No Tabiを楽しむことが出来ました。


……そういやドイツ語版のキノも予約しちゃったけど大丈夫なのか俺。
本当に読めるのか。


一言メール返信。
>通りすががった人様
まあ、様々なメディアに進出することで時雨沢氏がスポイルされたなんて事は想像したくもありませんが……流石に秋山瑞人氏を見てたり、ここ数年の作品のキレを鑑みると……
というか流石に「歌姫のいる国」は面白k(ry

>猫川様
ニーダーエースターライヒ州シルターン、狐耳山ふさふさしっぽ通り838で御座います。

>千鳥様
届きましたよー。
千鳥様もお読みになっている頃でしょうか。



10月24日(火)
どうか吸い取り砂をまかないでください(挨拶)



そういや、前回の日記で『キノの旅』に登場したタタタ人(辺境民族)がKino No Tabiではどういう呼び方をされているかについて書くのを忘れてました。
別にどうでもいい些細な変更点なんですが……タタタ人は"Tatana"になってます。
タターナ。
なんだか微妙に親方の娘さん(シュミーディン、と読むが吉)を彷彿とさせる名前ですね。タターナ。カルミナ・タターナというとなんとなくオルフ風味で中世風味でグッド。
ああ、もし若者と娘が一緒の部屋に居たのなら(ry


……というか、本当にタタン好きだねしえさん。
かつて『サモンナイト』シリーズ中最強の萌えキャラとして崇拝していたハサハが崇拝しすぎて神格化されて以来というもの、Chenowthの「萌え」という感情は専ら別のキャラクター達に向けられているのですが……タタンはおそらく、その中でも最も萌える部類に入るステキキャラクターだと思っています。
萌えるあまり、同志の某氏に「タタンは間違いなくトランペット奏者」という原作では示唆されてすらいない脳内設定を捏造したり、果ては別の同志様に「タタンのトランペットはこの世の被造物全てを墓から呼び起こす」という怪電波を撒き散らしたりもしちゃいました。テヘッ☆
とりあえず病院行け莫迦野郎


いや、でも女の子と管楽器って組み合わせは萌えると思うんですよ。ほんと。
この前も『スイングガールズ』を見ながら生まれて初めて三次元に対して抱く激情に、まるで性欲に踊らされる中学生の如き興奮を感じましたし、いつだか見たバセットホルン(デカいクラリネットみたいな楽器)を構えた少女の写真には激しく愛着を覚えました。
想像してみて下さい(←ジョン・レノン風味に)
とても歳相応には思えぬ矮躯(※タタンは公式設定上14歳)で、トランペットを担ぎ上げる、逞しき鍛冶師の娘の姿を!



▲トランペット



明らかにトランペット違いです
……一応解説しておきますと、写真のオジサマが持っているのはFA-MASというフランスの軍用小銃です。その特異な構造(ブルバップ構造)と風貌から「クラリオン」とか「トランペット」と呼ばれたりします。
……でも小っこい娘さんが自動小銃振り回す姿というのは、それはそれで美しくもあると思うのでしょうが如何でしょうか(※思いません)


久々にとち狂った日記が書けたようですので、この辺で一言メール返信。

>通りすがりの人様
幻滅させるような事ばかり申し上げてすみませんでした。
映画版は……作画の出来で判断しようと思ってます(←判断基準が妙)
少なくともアニメ版のような仕上がりだったらイグノア決定。



10月30日(月)
もしかしたら、モトラド喰いのシロゴーグも(挨拶)



『サモンナイト4』を予約してきました。
公式発売日は11/30なんですが、一ヶ月前の今から予約特典在庫切れが続出している状況に唖然。横浜界隈を駆けずり回って、結局定価販売のソフマップで予約手続き。本当は駅前の某店の方だと1000円近い割引があってお得だったんですが……予約特典には代えられません。
――サモクラ2の時も同じようなコトしてませんでしたっけしえさん。


Kino No Tabiについて追記。
これまで何回にも亘って「キノ辞典を編纂した編者によるKino No Tabi解説」みたいな態度で ウザいくらいに高説垂れてきました。中でも「原作とは違って一本化されたストーリー」について何度も念押ししながら話しておりましたが、先日読み返してみたら2ページ目にこんな文章が。


This English edition is presented as a linear narrative. We join with Keiichi Sigsawa in bidding you happy reading.

この英訳版は、一つ一つの短編が繋がった長編として編集されています。この本をお手に取られたあなたに、時雨沢恵一氏と共にどう見ても感謝です。本当にありがとうございました。
 (註:拙訳)


思い切り明記されてました
うわぁ……何やってんだろ俺。恥ずかしいったらありゃしない。



自分の馬鹿っぷりを露呈したところで一言メール返信。

>13番様
やはり少女と小銃ってのは素敵な組み合わせですよね。
『ガンスリンガー・ガール』も短機関銃や拳銃ばかりでなく、30口径クラスのライフルをもっと登場させて欲しいと思います。それかPTRS(ry

>同志モル
最近は「一人でマウスピース咥えてぶぺーと鳴らしてるタタン」に萌えそうになってます。エロ妄想よりもとち狂った妄想の比率の方が高いという、脳内が軽くスターリングラード状態。
ザ・ロジーヌィ! (喊声を上げながら)

>きゃのん様
お久しぶりです。
『ブラック・ダリア』映画化については聞き及んでいたのですが、ブラック・ダリアはエルロイのL.A.暗黒史シリーズでも特に目立たない(というか他の作品との関連が薄い)作品なので腰が重い、というのが正直なところです。
原作ダリアで覚えている事といったら女の睫毛でシュヴァンツを扱くコーニグパパくらいのものですから。ええ。
でも見に行く価値はありそうな気もしてます。暇があれば――

>千鳥様
ドイツ語版キノはKinos Reise(『キノの旅』の直訳)というタイトルになっております。Reise(旅行)っつーよりWandern(放浪)の方が適当な気もしますが。発送予定日は……12/1。
アマゾンの仕事に賭けるしかない。