Hasahist sum.(挨拶)
どーも。ここんとこ訳の分からない日記ばかり書いているしえさんです。
訳の分からない内容になるからには、実際に頭の中身も軽く臨界状態なわけでして、先日も友人に「自作のアングラビデオって売れるもんかね?」とどう考えても性犯罪者予備軍な事を言い出したりしておりました。
そんな憐れなしえさんの言動に笑みすら浮かべながら、友人は一言、「スナッフムービーか何かですか?」と問い返して来る始末。
そこは全力で阻止する場面だ
まあ支離滅裂な日記ばかりなのもアレなので、たまには真面目な事でも書こうかと思います。
テーマは「新訳聖書に於けるユダの役割」について。
「イスカリオテのユダ」と言えば、悪名高き裏切り者にして、キリストを売った人非人として有名な人物であります。しえさんとてキリスト教や聖書についてさして詳しい訳ではありませんが、「ユダはなんとなく悪人」という漠然とした印象だけは持っておりました。
しかし、よくよく考えてみると、イエスの身に起こった事は全て旧約聖書に書かれていた通りであり、預言者が記した通りのものであったはずで、つまり――ユダがイエスを裏切るという出来事それ自体が、旧約聖書に記された通りの事であり、そしてイエスがそう望んだ事であったのではないでしょうか?
別にユダを擁護するつもりはありませんが、もしイエスがエレミヤを始めとした預言者たちの預言を成就させるために、自らを犠牲にし、そしてユダが裏切者の汚名を甘んじて受けたとしたら、それはそれで話の向きが変わってきます。
その辺を調べるために、ちょっくら「マタイによる福音書」を読んできました。
ルター訳を。
――だって原文のヘブライ語は読めませんし、ラテン語は出来ませんから、自然とルター訳ドイツ語になるわけです。英語版や日本語版なんかはルター訳からの重訳ですから、資料的には可能な限り原文に近いものであるはずです。つまり日本語版より確実かと――多分。
とりあえず、ユダの裏切りを予言するイエスの台詞から検証。26章24節。
Der Menschensohn muss zwar seinen Weg gehen, wie die Schrift über ihn sagt. Doch weh dem Menschen, durch den der Menschensohn verraten wird. Für ihn wäre es besser, wenn er nie geboren wäre.
確かに人の子は聖書に書いてあるとおり、自分の道を行かなければならない。だが不幸な事だ、人の子を裏切ることになる者は。彼にとってよかったのは、生まれてこない事だったのだ。
一見すると、イエスが「何もしなくても自分で始末つけんのに、どーしてわざわざ裏切りなんてするかね。お前なんて生まれてきたのが間違いなんだよプゲラ」と言っているようにも見えますが、天邪鬼なしえさんはむしろ、勝手に行間を埋めて次のように読みます。
「人の子は、聖書に書かれているように去らなければならないが、去らしむることになる者にとっては如何に辛い事であろうか。生まれて来ない方が良かったと思わせるほどに違いない」
イエス・キリストの広い御心と厚い愛情を考えると、ユダを非難するような従来の解釈は到底導き出せないはずで、むしろ此処は「あー俺が死ぬのは勿論なんだけど、わざわざ預言を成就させるためだけに裏切りの役を買った奴は貧乏クジだよなァ」というイエスの憐れみの気持ちが現れているのだと思うのです。
そして、貧乏クジを引いたユダこそは、最もその憐れみを受けるべき人間だとも思います。
でもヨハネの黙示録だとユダはピンハネしてたよ
次は26章49-50節です。
49 Sogleich ging er auf Jesus zu und sagte: Sei gegrü&szig;t, Rabbi! Und er küsste ihn.
50 Jesus erwiderte ihm: Freund, dazu bist du gekommen? Da gingen sie auf Jesus zu, ergriffen ihn und nahmen ihn fest.
49 すぐに彼(ユダ)はイエスに向かって歩み、言った。「ごきげんよう、先生」そして接吻した。
50 イエスは答えた。「友よ、何をしにここに来た?」 そして人々はイエスに歩み寄り、彼を捕らえてきつく抑えた。
まさしくユダがイエスの捕縛を手引きする有名な場面ですが、イエスの台詞が割とどうとでも解釈できる、厄介なモノなのです。
「Dazu」はこの場合、「何のために」という意味になりますので、日本語の訳は上に挙げたようなものでも間違いではないわけです。にも関わらず――日本語ではまこと説明しにくいのですが――この場合、イエスはユダが会いに来た理由を問うているわけで、それは即ちユダが「自分に会いに来る」という目的以外の目的を持っていると看破していたということです。また、英語のWhy〜の疑問文が時として催促を意味するように、Dazu〜は「なぜ〜しないのか」という意味にも取る事ができます。
つまり、イエスはユダに、自らを売り渡す事を求めていたのではないか、とヘソ曲がりのしえさんは勘繰ってしまうわけですね。
そしてユダは主たるイエス様の預言を成就せんとする意志の強さにビックリ仰天、すぐさま詫びようとして銀貨三十枚をユダヤ人の祭司に付き返し、しかしそれでも助けられないと分かるや、終いには首をくくってしまいます。
無論、異端の説というかラツィンガー氏が聞いたら間違いなく激昂するに違いないのは承知してるんですが――ユダこそは、最もイエスをキリストたらしめる事に貢献した弟子だったのではないか、と思うのです。
まあそんな具合で、カソリックから見れば異端、プロテスタントから見れば痴れ者、アングロサクソンから見ればイエローモンキィなしえさんは、ここは一つ異端らしく、ユダの果たした役割を賞揚したいと思う所存。第一、この手の「誰にも称えられる事もなく、ただひたすらに自分の義務を果たす」という姿には、どうしても感涙を禁じえないのです。
The Unsung Warとかな。
……そーいや、「縁の下の力持ち」って英語だとUnsung Heroesって言うんですよね。謳われない英雄――思うに、ユダも立派なUnsung Heroなのです。
そりゃ見た目はどうしようもない金の亡者ですが。
大事なのは心です。ハーツアンドマインズ。
しえさんも、出来る事ならハサハにとってのユダになりたい。
英雄志向なのか自殺願望なのかは分かりませんが。
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