6月 2日(火)
共産主義は下等人種に宿る(挨拶)




Modern Warfare 2 実機映像


 "Call of Duty 4: Modern Warfare"の続編にあたる"Modern Warfare 2"のプレイ動画が遂に公開されました。
 グラフィックに関して言えば前作から進化は見られないものの(そもそも前作のレベルで充分ですが)、ドラマティックな演出や派手なバトルチャッタは健在ですね。ただ、テッポにくっ付いてるデバイス(レーダー?)を見る限り、「現代戦」というよりは「近未来戦」という印象を受けますが。
 ともあれ、今のところ分かっているあらすじを。
 主人公は第141機動部隊のGary "Roach" Sandersonなる人物のようで、経緯はよく分からないけどカザフの氷壁で登山家気取りになっているご様子。ちなみに映像には先輩隊員が映っていますが、これがどうやら前作の主人公だったSoap MacTavishの模様。軍曹から大尉にまで昇進して、ついでに顔も声もナイスオヤジにクラスチェンジ。
 まあそんなこんなでクリフハンガごっこをしながら、MiG-29が駐機してある飛行場でエンヤコラと破壊工作をしているようなんですが、これだけじゃ全然何がなんだか分かりませんね――まぁ、ストーリーを紹介するのが目的の実機プレイじゃありませんから、その辺は発売を待ちましょうか。……でもアクティビジョンジャパンが日本から撤退してるんですよね。国内メーカーのどこかで販売とか請け負ったりしないんでしょうか。

 ところで映像に出てきた銃器なんですが、なんかSCARっぽいですね。左右貫通してるボルトハンドルとか、キモいレシーバのデザインとか。
 現用兵器は嫌いじゃありませんが、FN-SCARというとなんだかSFじみてて好きになれないんですよね。いや、まぁ、大方のAR-15系も最近は近未来風味ですが。でも鉄砲ってのは鉄で出来てなきゃイカン。「木と鉄」とまでは言いませんが、それでもプラはちょっと……ねぇ?



 再び仮の同居人から『スカイ・クロラ』シリーズを借りて読み直してるんですが、真剣に読んでるうちに『撃墜魔女ヒミカ』を思い出してしまいました。個人的には人生で五番目くらいにガッカリした、あのラノベ。
 共通点は多々ありますよ。
 どこか日本とよく似た国、登場人物の名前は日本人っぽいけどカタカナ書き、そして戦闘機で空を舞う――違いと言えば、『スカイ・クロラ』が現実世界の戦中〜戦後のifを描いているのに対して、『ヒミカ』が第一次世界大戦をモチーフにしている事くらいですかね。そういう時代背景を反映しているのか、出てくるヒコーキも『ヒミカ』だと複葉機だったりします。
 あ、他にも相違点がありますね。『ヒミカ』じゃ空戦シーンがあんまりないないです。『スカイ・クロラ』では登場人物のほとんどが空や戦いに対して病的に執着するのに対して、『ヒミカ』では大抵の人間が地上で這いつくばってます。……つーか、『ヒミカ』はなんとなくミステリーっぽいんですよね。少なくとも、ポオの作品がそうである程度にはミステリーしてます。森博嗣の『スカイ・クロラ』は「ミステリィ」。
 まぁそんなカンジで、『撃墜魔女ヒミカ』はヒロインのヒミカたんが魔法を使って周囲の人間を不幸のドン底に叩き込んでいく(空戦はどこにいっちゃったんだ?)というのが物語の軸なので、とにかく濃密な空中戦機動が見たいというしえさんには「ただのカカシ((c)ベネット)」でした。全三巻とか出てるそうですが、もう読む気なんて更々ないね。電撃HPに連載していた時にはチラっと覗いてみたりもしましたが、ヒミカとよく分からない女の子がガチ魔法バトルを繰り広げてるイラストがあったのだけがやけに鮮明に記憶されてますね。
 気をつけろ、こいつは架空戦記の格好をした魔法少女モノだぞ。叩き潰せ! (ソ連軍の政治将校のように)




6月11日(木)
幻想郷(ゾーン)(挨拶)




 どうもこんばんは。今年の夏はストーカーを雇って「部屋」を探しに行く予定のHans Chenowthです。そして「ハサハと一緒に暮らしたいよぅ!」などと臆面もなく声に出して願いますが、気付いたら大金を手にしている自分に気が付いて、とりあえず自殺します。
 ……すいません、いつもなら明記しないんですが、元ネタはタルコフスキーの『ストーカー』を観て頂ければ分かります。何度見てもいい映画です。というか、また観ました。だからこんな事書いてます(ナットにリボンを結びつけながら)
 それにしても、公開当時は「謎の事故による立ち入り禁止区域とかwwご都合主義乙www」というような状態だったのが、数年後にリアル“ゾーン”が生成されちまったのはビックリですよね。まさに「事実は小説より奇なり」です。



 最近夜更かしが増えてきました。
 人生の3割を文化的活動(例:ケッチャム熱読)などに費やすワタクシですが、最近は色々あって睡眠時間をそれに充当させているような具合であります。何がここまでしえさんの時間を圧迫しているのか――原因は分かりませんが、おそらく6月から一日が22時間くらいに短縮されたんじゃないですかね。
 でも夜に小説を読むってのはオツなモンです。
 お気に入りのクラシックでも聞きつつ、愛読書に目を落とし、時々ちょっとウィスキーなんかを口に運びながら――これはこれで優雅な生活ですよね。この独身男にも、思わず書斎とオットマン付きのソファか何かが欲しくなってきます。あと必要なのは実父に性的虐待を受ける息子とかが一切出てこない小説だけですね。ケッチャム陰惨すぎるよケッチャム。
 ……夜更かしの話でしたよね。脱線脱線。
 幸い昼間の仕事に支障が出る、という事はないんですが、如何せん体調が思わしくなくなりましたね。息切れ動悸に吐き気や頭痛、酒は増えて肝臓ボロボロ。白髪もぼちぼち目立ってきました。
 こんな生活を続けていたら、自分で自分を殺すようなモノだとは分かっているのですが……ただ、何が悲しいってこの日記自体が夜中の2時に書かれてるという事実ですよ。

 あと、ケッチャム読んでると思うんですが、スティーヴン・キングは他人の作品に寄せ書きすんのは止めた方が良いと思います。トンプスンの時もそうでしたが、奴に書かせると自己主張が強くなりすぎる。



 先日アニマイト(訳注:アニメイトのこと)に寄ったら、なんだか『けいおん!』の販促ムービーがずっと流れてました。
 「また四文字かよ……」という若干ズレた溜息を漏らしながら、とりあえず『はなまる幼稚園』を手にしてレジに向かうしえさんでした。部活を舞台にした作品ってのもそろそろクリシェイになって来てますよね。剣道しかり、軽音楽部しかり……ある意味ではSOS団だって部活です。こうした群雄割拠の状態で『けいおん!』が多作品との差別化を図るには、きっとイーグルスの『ホテル・カリフォルニア』をガチ演奏するしか手はないでしょうね。
 休憩時間にはLSDとマリファナでトリップしつつ、学校の行き帰りにはiPodで『サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を延々リピート再生しながら、刹那的なロック・ポップスに人生の全てを捧げる――そんな女の子たちの物語だったら、或いはしえさんの食指も動いたかもしれません。合言葉は「ラヴ・アンド・ピース」ですね。そして自衛隊イラク派遣に反対して抗議自殺とか

 ……これじゃあ軽音楽ってよりロックですよね。
 じゃあ、もうちょっと高校の軽音楽部っぽく『威風堂々』なんか演奏してくれないもんですかね。ほら、吹奏楽部とかがよく卒業式やらなにやらで十八番にしてるじゃないですか。
 そして例のメインフレーズにさしかかると、唯タンによる「らーんどーぶほーぱーんぐぉーりー!」というヴォーカルが入るという次第。そのまま大英帝国を称える超国粋主義ソングで観客(としえさん)を魅了するわけです。

Land of Hope and Glory,
Mother of the Free,
How shall we extol thee,
Who are born of thee?
Wider still and wider
Shall thy bounds be set;
God, who made thee mighty,
Make thee mightier yet,
God, who made thee mighty,
Make thee mightier yet,
希望と栄光の国、
自由の母よ、
あなたを如何に称えようか、
そこから生まれた我々などが?
広く、より一層広く
国境は定められよう。
あなたを強く造り給いし神が
さらにあなたを強くし給うように。
あなたを強く造り給いし神が
さらにあなたを強くし給うように。

 ……なんか大言壮語めいてますよね。まぁ、キリスト教国家の愛国歌なんてのは大抵こんなモンですが。
 きっとブリトン人は未だに「世界のイギリス」気取りなんだぜ。海洋国家だと信じてる。




6月14日(日)
十字架に掛けられる程度の能力(挨拶)




 どうもこんばんは。最近一番の懸念事項といえば「てゐとハサハを勘違いしてる人間が、果たしてこの世に何人いるだろうか」なHans Chenowthです。この際言っておきますが、両者は『パイナップルARMY』と『PLUTO』並みに違います。……どっちも同じ作者じゃないかって? いやいや、違うんですよ。画が。
 さて、今日の日記はブックレビューがメインになります。最近ようやくまとまった時間とまとまったお金が出来て、新しい本を買って読むだけの余裕も生まれましたからね。色々と気になっていた本が多いだけに、これはこれで嬉しい限りです。



 まずは『とらドラ!』の五巻から。
 しばらく前から積んであったんですが、ようやく消化。いやぁ、やはり竹宮女史の描くラヴコメは良いですね。あんまり現実離れしてなくて、それでいてリアルストレンジな非日常が目白押しのナイス・ストーリーです。天然を装ったセンチ少女/ツンデレ美少女/どこかズレた秀才タイプの男子学生など、どこか『わたしたちの田村くん』を彷彿とさせる設定が気にはなりますが、そこは大人の寛容さでもって華麗にスルー。考えたら、巨匠ジャック・ヒギンズだって似たようなキャラしか出てきませんしね。トリニティ・カレッジ卒で芸術に理解のあるアイルランド人の小男とか。
 ともあれ数ヶ月ぶりの『とらドラ!』ですよ! あの読んでる方が恥ずかしいやらじれったいやらでてモジモジし始めそうなアンリミテッドラヴコメが、再びしえさんの前で繰り広げられ

うわぁ親子の確執がネタかよ

 ……ややネタバレを含みますが、五巻は逢坂大河とその父親とのエピソードです。実は我らが手乗りティーゲル(※タイガー)、父親の後妻との折り合いの悪さから家出をやらかし、ファッキンブルジョワの父親から「あーそー、じゃあマンション買ってやるから一人暮らしでもすれば?」と放置プレイをカマされていた、というバックグラウンドを持っていました。そんなガッデム親父が今更「拠りを戻したい」と言い始めて、さあティーゲルどうするか――と、そんな話です。
 まぁ、「幼い頃にベッドに縛り付けられて、そのすぐ隣で実母を父親にタイヤレバーで撲殺された上にその死体が腐っていく様を見せ付けられた」なんて深すぎるトラウマじゃなくて幸いでしたね。ですが、家族間の諍いというのは当事者以上に他人から見て非常に鬱陶しいものがある(当事者にとっても無論)ので、しえさんとしてはあまり読んでいて気持ちの良いものではありませんでした。そういうのはパルプ・ノワールの方面で充分です。ラノベでまでそんなクソ重い話を読みたくはありません。
 一応はラノベらしく、ティーゲルと父親の仲はふたたびおじゃんとなり、主人公(?)である竜児がティーゲルパパの狭量さを胸の裡で責めてシメ……という流れになってはいるんですが、しえさんのようないいトシをした大人が読むとティーゲルパパに深いシンパシーを感じてしまうようです。
 だってアレでしょう。
 いくら娘の晴れ舞台とはいえ、大事な仕事と重なったら見に行けないなんてこともあるでしょうよ。
 子供から見れば大人の身勝手な理屈ですが、大人なんてのは大抵身勝手なモンです。全てを擲って人を愛せるのは物語の中だけ(※『とらドラ!』は物語です)ですし、特にティーゲルパパに関して言えば、余計な言い訳や惨めたらしい釈明をしないだけ、まだマシなんじゃないかと。
 ……そういえば、書店で『とらドラ!』のスピンオフ作品集を見かけたことがありますが、ティーゲルパパの一人称で書かれた掌編とか収録されてませんかね。仕事と後妻と難しい年頃の娘に挟まれて、それでも懸命に生きるお父さんの悲哀を、竹宮女史の筆致で呼んでみたいと思うんですが……でもラノベ向きの題材じゃないよね。
 でもティーゲルがパパを見直す日が、きっと来ます。
 多分パパが死んだ後に。

 ちなみに、読んでいる内に「徹底的なリアリティに満ちた大人の嘘と欺瞞と現実に打ちのめされる手乗りティーゲルと竜児」なんてバッドエンド確定な設定が頭にムラムラと沸いてきたんですが、よく考えたらそういうのは橋本紡の領分だったことに気がつきました。
 今日日、ああいった子供じみた青臭い視点でモノが書けるってのは貴重な才能だと思います。しえさんにも、ああいう少年時代があった筈なんですが……いや……どうだっただろう……少し自信がなくなってきた……。



 『絶望先生』の第十七集を読み終えました。
 ラヴコメでは決して無いはずの本作ですが、なんだかしえさんの見る目がイヤラシイのかなんだかすげェ萌える仕上がりになっていました。俺が先生だったら、もうとっくに小森さんを後ろから頂いてますね! (※何を?
 まぁ、しえさんの劣情なんてのはさて措いて……なんとなくですが、『絶望先生』と『モンティ・パイソンの空飛ぶサーカス』は似ているような気がしました。
 風刺に満ちた内容、皮肉を通り越して時々アブなくなる政治ネタ、そしてメタコント――これで身障者ネタとガチホモネタを入れればカンペキですが、この21世紀の日本でそこまでやると作家生命というか本人の命まで危ないので、そこは妥協するとしましょうか。ですが、このシニシズムとアイロニーに満ちた『絶望先生』とその不愉快な仲間たちの繰り広げる喜劇は、間違いなくあのブリトン人どもの生み出したユーモアに比肩すると思います。何気にパラドックスネタとかも多いですしね。そのうち「グレバッバ族」あたりをオマージュして貰いたいモンです。
 ただ、時々思うのはどう考えても女の子が多すぎるという事でしょうか。連載開始以来、未だに登場人物が着々と増えていますが、一つの話で出てくるのは精々六割が良い所です。まぁ、そんな醜態すらも自虐ネタに使ってしまうのが『絶望先生』の特徴ではありますが、やはりお気に入りのキャラが活躍しない話というの寂しいですものね。
 特に気になるのは千里が徐々にサイコキラー化している部分でしょうか。個人的には大好きなキャラクタなんですが、ちょっと血生臭くなってきてますよね彼女。あの様子だと、幼少時にリトアニアのヒーヴィ共に妹を殺害された上、その死体が人肉食に供されたというトラウマがあったとしても驚きません。きっと糸色医院の看護婦の顎や舌を(ry



 『学園キノ3』も読了。
 ネタバレをしてしまいますが、今回は『キノの旅』本編からイーニッドさんが出演されています。といっても、イーニッドらしいのは名前だけで、男言葉もフォルクスピストーレも出てきません。普通に清楚なアメリカのお嬢様です。
 まぁそんな具合で、毎度のように色々とやらかすわけですが、今回は地元ネタが多く出ていて楽しめましたね。大船とか鎌倉とか、元横浜市民のしえさんとしてはニヤリとする描写が多くありました。しかしあまりにもニッチなネタなので、非関東圏の人間が読んだら楽しくないのかな、などと考えることひとしきり。
 あとテッポがたくさん。
 なんとなく印象ですが、『学園キノ』に登場する銃器は徐々に近代化してきていますね。今作でもKriss Super VやらFRAG-12やらが出てきてますし、古典的でマニアックな銃は成分控えめ。おそらくその辺のネタは『キノの旅』本編に温存してあるんでしょうね。
 例によってパロディも多かったんですが、その辺は正直……いや、分からないと徹底的に分からないネタも多かったので。一応暫定的に『辞典』のようなものも「駄文」コーナーにアップロードしてありますが、パロディの元ネタなどについては敢えて言及を避けています。面倒だから



 未読だった『はなまる幼稚園』の第五巻も消化したんですが、何を勘違いしたのかしえさん、既読の第四巻まで一緒に買ってきてしまうという珍事を起こしました。だって、読んだかどうかハッキリ覚えてなかったんですよ!
 遂にアルコールの影響が脳まで回ったか――と内心ドキドキモノですが、それでもはなまるの子供たちはみんないつも通りの純真無垢な笑顔でしえさんを和ませてくれました。
 それにしても……子供たちや土田先生と山本先生のマイペースな日常を見てるのは心が癒されるんですが、さつきちゃん(土田先生の妹)のブラコンという言葉で片付けるには非キリスト的すぎる態度を見るたびにビクゥッとしてしまうのは私だけでしょうか。しえさんがクサレ耶蘇だから?
 そして草野先生はやっぱりにゃもにゃもしてました。



 あと、いい加減に有隣堂はカラーページをブックカバーで巻き込むのを止めろ
 もう少し丁寧に包んでくれよ。




6月15日(月)
可哀想なんかじゃない(挨拶)




 『とらドラ!』を8巻まで読了。
 生徒会に絡んだドタバタやクリスマス、修学旅行とおなじみのイベントが竹宮節で描かれてきた訳ですが……なんだか微妙に雲行きが怪しくなってきましたね。『イリヤの空 UFOの夏』で言えば「鉄人定食」のエピソードの後くらいの雰囲気です。
 まあ勿論、裏山に未確認飛行物体が墜落したりなんかはしない訳ですが、しかし『とらドラ!』で描かれる「不穏な空気」というものは、死ぬほどリアルです――ファンタジーな要素が一切ないだけに余計リアルです。
 変化を求める少年、変化を恐れる少女――その間に生じた微妙な齟齬が、いずれ大切な人間関係を決定的な乖離へと導くのではないかという恐怖。その恐怖ゆえに、彼らは人に、自分に対してさえも嘘を吐き、自分の心を糊塗し、そして傷付く――。相手を憎むこともせず、ただ深い自己嫌悪の中にあって、ただ全てを元に戻せたらと願うばかりの――

 ねじれた人間関係で恋を始め、あまりに多くを望んで、あまりにわずかしか得られず、よかれと思って、大きな悪を為す者たち。おれたち2-C。おれと櫛枝実乃梨と北村と川嶋亜美、そしてアホの能登に、ちっちゃい逢坂大河。おれたち、みんな。
 おれたち、みんな。



 まあ、落ち着け。
 あんまり深読みしてたらちょっと心のスキマにジム・トンプスンが入ってきましたが、『とらドラ!』は間違いなくライトノベルです。ノワールじゃありません。多分。
 あと、ロリコンかつペドフィリア疑惑のあるしえさんですが、『とらドラ!』で一番気に入ってるのはティーゲルじゃなくてみのりんです。だってステキな女の子じゃないですか! 上辺は人当たりが良さそうだけど、その実どんな人間に対しても深入りしようとせず、それでいて他人の事がやたら気になるハーヴァードの学生にソックリですよ! 無意味に明るくてフレンドリィな人間っていうと、絶対なにか人間性損なってるよね! よくある八方美人タイプだよ!
 ……あと微妙に不可知論者っぽいですよね、彼女。根拠はありませんが。




6月16日(火)
大河「アパカッ!」(挨拶)



 その時、もし私が死んでいたら――というか多分死んでるだろうけど――
(アイルランド民謡)





 『とらドラ!』を全巻読了。スピンオフ集がまだ残ってますが、とりあえず本編はこれで読み終えたことになりますね。
 いやぁ、それにしても予想外でしたね、なんてったって、

ラヴコメかと思ってたら『リバーズ・エンド』だもん

 ……一応解説しておきますと、『リバーズ・エンド』ってのは橋本紡氏の作品でして、やはり大人や世界という軛から逃れようともがく子供たちの物語です。『とらドラ!』とは全然違うストーリィですし、登場人物も竜児や大河より大人びてる(というか全てを諦めてる)のが特徴ですが――でも、空気はよく似てます。重苦しいところとか。
 閑話休題。
 で、『とらドラ!』ですが……いや、なんというか、大人と子供の隔たりってのはかくも大きいものか――と実感させられる話でした。10代20代の頃に読めばもっと子供たちに感情移入することもできたんでしょうが、やはりしえさんくらいの齢になるとダメな大人の方にばかりシンパシーを感じてしまっていけませんね。あと、自分の10代を思い出して比較した途端に自分の学生生活が如何に平坦で感動のない時代だったことかを思い知らされるというオマケ付き。ツンデレもモデル美少女もクラスにゃ居なかったよボケ! (虚空に向けて喉から血を迸らせつつ絶叫)
 ――それに、全体的に灰色な空気のシーンばかりでしたね。ラヴコメってのは大抵が終盤になるとシリアスサムになってくるモンですが、『とらドラ!』は青臭い成分よりもほとんど暴力的なまでに行き止まり感のある現実が描かれるので。ティーゲルの父親が見るも無残な凋落(親父ざまあww)を遂げたり、それによる経済的苦境がタイガーさんに降りかかったりとか。そりゃラノベだからケッチャムなんかに比べれば断然軽いことは確かですが、ラノベとして見た場合には「気軽に読む」というレベルを超越しています。カネの話かよ。
 あ、でもお気に入りのシーンはありましたよ! 例えばホラ、竜児と大河が、お互いの愛を確かめ合おうとするシーンとか!


 少しだけ力が緩み、大河の顔の全体が僕の視野に収まるまで後退する。目を細め、口をスピンナのように尖らせて、笑った。
「どうする? 殺してくれる?」その口が言う。
 僕は黙ってギアを入れた。
「さもないと、永遠に私たち、このままだよ」



いやそれ別作品っつーか竜児は「僕」なんて言わねぇ
 ……違うんだ、大河と竜児がもっともっと甘ったるくて腎臓病まっしぐらなラヴに満ちたイチャイチャを満喫する場面が、


僕たち子供の気持ちは、大人に決してわからない。
理解してもらえない。
理解しようとするほど、遠くなる。
どうしてかっていうと、理解されることが、僕らは嫌なんだ。
だから、理解しようとすること自体、理解していない証拠。



 ……もしかしたら、オレ違うモン読んでたのかしら。最近ちょっと記憶力もヤバめですしね。連日連夜酔っ払って『アビィ・ロード』聴きながら読んでるし、読むときは二、三冊並行してるし。先日も『インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国』を観ましたが、覚えてるのは宇宙人とかUFOが出てきたというヴィジョンだけなんです。そんなコトある筈ないですよね! インディ・ジョーンズにUFOとか有り得ないもん。
 まぁ、大河さんの甘ぁ〜い科白はどんなんだったかよく思い出せませんが……でも確かに二人はラブラブでしたよ。ちなみに、上で使った「お互いの愛を確かめ合う」というフレーズは隠喩でもユーフェミズムでもなくて字義通りの意味でしかないので、そこんとこ勘違いしないで下さい。いや、マジで。ラノベでそこまでやれるのは20世紀だけの特権です。
 ともあれ――焦燥感や切なさに満ち満ちたラヴ、ってのはやはり見応えがあります。のんべんだらりとイチャイチャしてるのもアレはアレで好みですが、いつか失うんじゃないかという恐怖を抱きながら刹那的な愛を求め合う必死さというのは、人間の根本的な何かを思い出させてくれますね。
 『不夜城』の健一と夏美とかさ。
 大河は、おれと同じ場所で生まれた生き物だったのだ
 あとやっぱり、みのりんはイイ。人を幸せにしようとして、蝋燭のように我が身を磨り減らしていくタイプの人種ですが、ああいう女の子は大好きです。諧謔の分かる女ってのは、恋人にしても良いくらい貴重です。きっと長生きはしないでしょうが。



 とりあえず、『とらドラ!』は間違いなく名作。
 しえさんの中では『フラニーとゾーイー』に次ぐ名著だと信じてます。いや、比較対象は適当なんですが。でも青春文学でしょアレ?
 まぁ『とらドラ!』読んだって、「俺もあんな青春したかったなぁ……」なんてことは死んでも思わないけどね。いや、負け惜しみでも何でもなくて。実際あんな面倒(面倒と言い切るあたりにChenowthの性格が出ている)に巻き込まれたら、それこそ五秒と生きてられません。空気が重くて。
 まぁ色々とニヤニヤし通しで頭の中が桃色になっちまったので、『人生狂奏曲』でも観て脳の地軸をニュートラルに戻すことにします。やっぱクレオソート氏は見るたんびに吐きそうになるね!



 あと、シリーズ通して一番感動した場面がやっちゃんの両親がキリストのように優しく迎え入れてくれる所だったのが自分でも納得行きません。永く離れていた家族とヨリを戻すという、なんでもないシチュエイションに涙が止まらないんですが……どうしてでしょうね?
 何なんだ、全てハッピィに終わったのに、このしえさんの胸にこびりついた喪失感は……




6月18日(木)
みのりん「カワバンガアッー!」(挨拶)




俺は世界を作り直そうとしたが――反対に作り直された。
(『ストーカー』より、“作家”)





 どうもこんばんは。「きっとみのりんは多少ぽっちゃり体型」Hans Chenowthです。やっぱり不健康にスタイリッシュな痩せ気味よりも、柔らかい身体の方が良いですよね。こう、温かいし。
 「温かい」ってのがどういうシチュエーションを想定してるのか気になりますが
 ……でも、みのりんはソフトボールプレーヤですから、きっとぽっちゃりしてても脂肪じゃなくて筋肉でしょうね。下手すれば『COBRA』の世界の女性キャラ並みにプニプニグラマラスな可能性もあるってことですが……ケツにえくぼとか出来るんですよね。それはヤだな。



 『とらドラ!』を読み終えてからというもの、ニヤニヤが止まらない病気に掛かってしまいました。
 もう仕事中なんか、竜児と大河のあんなことこんなことイッパイ想像しつつ、口の端を歪めているような有様ですよ。しえさんの脳内じゃ、二人は台所に立って(※大河は踏み台etエプロン装備)仲良くお料理したり、こたつに入って脳天にみかんを載せながらのんびりしたり、ロシアの武器商人を暗殺するためにプリピャチへ潜入したりしてましたよ。
 あとは竜児がヒコーキで空を飛んでたと思ったらキャノピーに血飛沫撒き散らしたり、、膝の上にシャロン・リプシャツを乗せてピアノを演奏して大河に嫉妬されたり、テロリストに占拠された特急列車のキッチンで吹き替えボイスが若本規夫な悪漢の首をボキボキ折ってました。

エロ妄想はどこにいっちゃったんだ?

 ……でも正直な話、エロ妄想なんて放っておいても誰かがやってくれますからね。それこそ山のように。実際、そういったエロ同人もいくつか目にしてますし。 つーかいくらなんでも「大河が北村とのはぢめてに備えて竜児を練習台にする」ってパターン多すぎねぇか
 しかし、ラストシーンで「母さん! なんて大きな口なの!」と嗚咽する大河をC96で射殺する竜児なんて、きっとしえさんにしか想像できませんから。私だけが持つ才能なんでしょうから、それを活かさないと(※結構です)
 そんなわけで、しえさんの考える『とらドラ!』妄想シアターの始まり始まり〜。


タイガーよ、おまえに蹴られたり
罵られたりした人間のことや…
おまえの為に泣いてくれた人間のことを覚えていてくれよな……
忘れないでくれよ、タイガー……



 ……待て、これじゃあ竜児が鉄の棺桶の中で蒸し焼きになっちまう。
 流石に嫁にも行かないうちから大河を未亡人にするワケには行きませんからね。もうちょっと穏当なネタとかないかな。例えばホラ、ラヴコメちっくに二人で掛け合い漫才のようなことを、


「竜児、インコちゃんは寂しがってるだけよ」
「寂しがってなんかいねぇ、お陀仏してんだよ! このインコは逝ってる! お亡くなりになってる! 息を引き取って、主の御許に旅立った! これは“故”インコなの! 遺骸なの! 絶命して安らかにお眠りになってる! もしお前が止まり木に釘で打ちつけてなけりゃ、今頃は墓前に花を供えられてた! 一巻の終わり! 鬼籍に入った! こいつは“元”インコちゃんだ!」


 ワケわからなすぎてスペインの宗教裁判みたいだ
 まぁコレはコレで微笑ましいネタですが、もうちょっとラヴに満ちていた方がしえさん好みですね。ここは一つ、竜児に甘ったるすぎて奴の顔には似合わないような愛の科白を、


「今から何年も経って、俺が齢取ってハゲたりしても
バレンタインのチョコレートを贈ってくれるか。
誕生日のお祝いとか、プレゼントのワインとか。
もし俺が夜中の2時45分まで外出しても、鍵を閉めたりしないでくれよ。
ずっと俺を必要としてくれて、手料理食べさせてくれるか?
俺が64歳になってもさ」



ネバクスィエニアザウェ! ネバクスィエニアザウェ! (高周波音に続けて無限ループ)

 ハッ……! 失礼しました。
 とらドラ妄想を掘り出そうと自分の脳味噌の中を覗き込んでいたら、なんだかランカシャー州ブラックバーンに開いた四千個の穴が見えちまいました。いやぁ、俺の脳内ってこんなに穴だらけだったのね。今なら、アルバート・ホールを満席にするのに何個の穴が必要かという問いにすら答えられそうです。
 でもまぁ、しえさんをこれだけ狂わせるだけの魅力が『とらドラ!』にはある、という事でご了解下さい。文字通り狂い死ぬような妄想が後から後から湧いて来ちまうほどのポテンシャルを秘めた名作です。
 さて、このまま続ける事もできそうですが、多分読んでる人も面白くないでしょうし何よりこれ以上やると脳内をブルー・ミーニーズに占領されかねないので、今日はこの辺で失礼させていただきます。

 ……なんだか最近ロクな妄想してないな。




6月20日(土)
大河「タタキクォロシテヤル!」(挨拶)




この不条理な女子高生はユマニストだ。彼女はこの世の善しか知らぬ。
――ジャン・サルトル、『とらドラ!』の櫛枝実乃梨について





 どうもこんばんは。谷山浩子を聴いていたら脳ミソをレイプされてる気分になったHans Chenowthです。まさにスカル・ファック。『意味なしアリス』は特に強烈で、個人的にはビートルズの『ナンバ・ナイン』と並ぶレベルに恐怖を催す曲です。クスリでもキメないと思い付かない世界ですよ。
 ……しえさんも狂人を自認するようになって久しいですが、こういった偉大なる先達の功績をみるにつけ、自分もまだまだだなぁと反省する次第です。というか、あそこまでガイキチめいてくると流石にどうかと思いますが。



 今日はちょっぴり真面目な話を。翻訳の話です。
 翻訳に付き物の「誤訳」ですが、これがある種の定訳として人口に膾炙するようになる、というのは珍しくありません。有名なところではシェイクスピアの『真夏の夜の夢』が実は「真夏」ではなく「夏至」であったり、ビートルズの『ノルウェイの森』という楽曲のタイトルも、実際には内装に使われる松材のことだったとか。後者は誤訳というにはあまりにもニッチですが、でも今更どうしようもありませんよね。今更訂正しようにも、村上春樹の恋愛長編のタイトルは変えようがないんですから。
 でもこの辺は良いんですよ。
 多少意味を違えてても、全体の雰囲気は留めてますからね。
 ただ次のような場合はどうでしょうか。例えばヘルマン・ヘッセの『荒野の狼』とか。
 ヘッセの代表作(だと思うけど)なこの作品は、しばしばある種の「アウトサイダーの物語」と評されています。中には社会のはみだし者である主人公のハリーの姿を見て、「なるほど、『荒野の狼』とはよく言ったもんだ」と感心した方もいらっしゃることでしょう。そりゃ荒れ野で孤高に生きる狼と、アウトサイダーの生き方には相通じる部分が多分にありますからね。
 実際には狼ですらなかったんですが
 ……『荒野の狼』の原題である"Steppenwolf"は、直訳すれば「草原の狼」ないし「荒野の狼」となるワケですが、これは実はコヨーテという単一種を指す特定の名詞なんですね。多分想像ですが、最初にこの訳出をやらかした野郎は「あざらし(Seehund)」を「海犬」とか訳すタイプの天才に違いありません。
 狼に近いといえば近い種ではありますが、だいぶイメージ違いますよね。コヨーテと狼って。後者はアウトローとかアウトサイダーといったイメージにも充分合致しますが、コヨーテっつーと黄色いヒヨコや「ミーミー!」と鳴く謎の鳥類を始終付け回してるイメージしかありません。ひょっとしたら、ヘッセはハリーについて「孤高のダークヒーロー」というより「意地汚い野郎」という像を持たせたくてこのタイトルを選んだんじゃないだろうか――と、そんな事も思ってみたりするわけです。

 ……と、ここまで書いてる時に仮の同居人が教えてくれたんですが、ヘッセがゲオルグ・ラインハルト(※有名なドイツの将軍)に宛てた書簡で「これは、ある一人の人間の物語なんだ。おかしなことに、半分は人間で、もう半分は狼であることに苦しむ人間の」と書いているそうです。どうやら作者自身も「狼の物語」だっていう認識があったみたいですね。
 そもそもヨーロッパにコヨーテはいねぇ
 ――なんてこった。先人の翻訳を批判してインテリぶろうとしたら、自分の無知をさらけ出しちまった。哀れ俺。



 Xbox360で『タイムリープ』の体験版が配信されていました。
 なんと原作がエロゲだそうです
 ……箱○でギャルゲーってだけでも驚きなのに、エロゲ原作のコンシューマ化ですよ? 右トリガを使わないゲームですよ? CERO Cのレーティングが入ってるけど血飛沫やバイオレント&ゴア要素は一切ナシらしいですよ? 何考えてんだよジーザスファッキンクライスト!
 しかも600MB超の体験版データ。参考までに、『ACE COMBAT 6』のデモは300MB程度でした。
 体験版とか銘打っておきながら600MBたァ、どんだけ内容詰め込んでんだ……と不安になりながらもダウンロードし、起動してみると……実はコレ、3Dアニメーション付きのギャルゲでした。
 大手メーカ各社がこぞってXbox360のポテンシャルを高解像度テクスチャやモデルによるリアルタイムレンダリング、独自のエンジンによる自然環境の模倣、AIの高度化や最大同時制御数の増加などに注ぎ込む中で、『タイムリープ』は全てをセルシェーディングとボイスデータに注ぎ込むという漢らしさを発揮しています。……まぁ、Xbox360はPCと違って動作環境は一律ですし、開発する側としては色々メリットもあったんでしょうね。
 それにしても、全部リアルタイムですよ。ギャルゲーも高スペックを要求する時代になったんですね。『ときメモ3』の時代から随分と長足の進歩を遂げたもんだ。
 つーかここまでやるなら背景もちゃんと作れよ
 ……結局紙芝居なんですよね。一枚絵を立てて、その前で3Dのキャラが動く、という。

 ともあれ体験版の感想でも。
 プレイそのものは苦行僧に胸を張ってオススメできるレベルですね。Aボタンを押すだけで、プレイヤは死ぬこともなく物語は勝手に進んでいきます。声優さんのボイスや使い古されたクリシェが嫌いでなければ楽しめるかもしれません。ちなみにしえさんは自殺衝動を抑えるのに必死でした。あとオプションの項目がやけにエロゲ臭プンプンなのが気になりますね……何だ「フォント」って。ゴシック体以外でテキスト読みたくねぇよ。
 次にグラフィック。
 まぁ、良いんじゃないですかね。HD対応のギャルゲーなんてジェットエンジン付き三輪車のような意味の無い豪華装備のように思えますが、Xbox360で回すんだからそれくらいのコトをしなきゃ割に合いません。ちゃんと60fpsで動きますし、それなりに可愛い造形してます。時々パーツとパーツが干渉してエッシャーの絵みたいなコトになってることもありますが、この辺は見ないフリをしましょう。
 ストーリィは……よく分かりませんでした。そもそも体験版ですから、まだ掴みの部分だけでは何が何なのか理解できません。それでもプレイ時間30分程度のボリュームはあるというのが恐ろしい所ですが……イントロだけでここまで掛かるなんて、製品版はどんな濃厚ストーリィなんだ?
 難点を挙げるとすれば、キャラクタが倒れるアニメーションの際にモデルがラグドールっぽい動きをすることや、各キャラ全員が歯のパーツを装備していることでしょうか。……いや、歯そのものはあっても構わないんですが、なんだか見た目が気持ち悪いんですよ。まるで口のパーツと一体になってて、喋るたびに大きさが変わるように見えます。まぁ細かい部分ですし、あんまり気にならないといえば気にならないので、無視しても構わないと思いますが。

 総合的に言って、期待はできるんじゃないですかね。
 ここのところ「ゲーム」と言えば戦争なChenowthにとってはあまり魅力的とは思えませんが、『アイマス』などで燃えより「萌え」を求めるアツいプレイヤにはきっとマッチすることでしょう。でもグラフィック云々を抜きにして考えた場合、ほとんどの要素は旧態依然としたギャルゲーのものなので、歴戦の兵を自認する方々にしてみれば目新しさはほとんどないかもしれませんね。濡れ場もないだろうし。
 ……まさか追加でエロシーンをDLC販売とか考えてないよな。



 久しぶりにSSをアップ。サモンナイト4の二次創作です。
 やっぱり掌編ってのは変に気負わなくてラクですね。




6月28日(日)
みのりん「ディス! イズ! スパータッー!」(挨拶)




この世は、万能の神様が、頭がどうかしているときに思いついた下手な冗談ごとにすぎないんだ。
――櫛枝実乃梨





【言語感覚がブッ飛んでるTOP3】

1. 平野耕太
2. マイケル・ペイリン
3. しゅべすた



 「デッド・パン」という言葉があります。
 表情を変えずにジョークを放つ面白い野郎が持つユーモア・センスの事を指すらしいですが、日本ではあまり馴染みがありませんね。冗談を呼吸するかのように連発するアングロサクソンの文化から生まれた言葉ですから、なるほど真面目一辺倒の日本人には向かないのかもしれません。よくガイジンさんの講演なんかに行くと、挨拶の一言ジョークに真面目な顔して「ふんふん」と頷いてる出席者を見かけますから。ボケ殺しもここに極まれり。
 まぁそんな関係もあってか、日本語でこの「デッド・パン」に相当する単語を見かける機会はそんなにありません。一応、司馬遼太郎氏がアイルランドに関しての書き物でこれについて言及していたそうですが、その際に「死んだ鍋」と超訳(panは「顔」ないし「表情」のこと)をなさっていて、現在ではこの超訳が広く用いられています。――いや、単なる「能面」みたいな意味であって、鍋なんざこれっぽっちも関係ないんですが。
 ……でも良いですよ、デッド・パン。
 ユーモリストを気取るしえさんにとっては義理の母親みたいなものです。さり気ない調子でしょーむない冗談を言うようなユーモアがあったって良いじゃありませんか。上述したように、生憎と日本じゃあんまりウケがよろしくありませんが。文化の違いでしょうね。
 というか、新人さんに使ったらほとんど通じなかった。



 そういうワケでこんばんわ。「L・マニング・ヴァインズって架空の作家でしょ?」Hans Chenowthです。休日は久しぶりに町の市民図書館に行って、読書漬けの一日を送ってきましたよ。昨今はAmazonなどのサービスも充実してますから、読みたい本があればポチすれば済む話なんですが、古い本になると品揃えが……ね。沼澤洽治訳の『ナイン・ストーリーズ』なんて、とうの昔に野崎孝訳によって駆逐されちまいましたしね。
 図書館はその辺、蔵書が古くて頼りになります。
 岩波文庫も(セロハンカヴァのついた古い版まで)揃ってますし、インターネットが普及する以前の情報ともなると、やはり未だに紙媒体の持つ力は衰えませんね。蔵書のデータベース化も進んでいて、何がどこにあるかを端末でスピーディに調べることができるのも魅力的。
 ただ、最近どうにもAmazonで探してポチを繰り返す生活に馴染みすぎたのか、分類番号や棚番号を指示されても、そこから本自体を見つけるまでが長くかかるようになってしまいました。それこそ、背伸びしたりしゃがんだりしながら、背表紙の掠れたタイトルを睨みつけるような格好。
 ……リアル本屋でも同じようなコトしてますけどね。何度も棚を行ったり来たりしてんの。



 仮の同居人が、「アラスカってどんなお菓子だっけ」と言っていました。
 たぶん『シベリア』のことなんでしょうね。あの羊羹をカステラ生地でサンドイッチしたアレ。それにしても……アラスカ(笑)。どう勘違いすればアラスカになるんだろう。
 でも「シベリア」って名前も相当ヘンですよね。
 なんでシベリア。
 東欧の地名がお菓子の名前になるなら、「ノヴァヤゼムリャ」とか「チェルカッスイ」なんてスイーツがあっても良い筈じゃないですか。黄色いケーキに「プリピャチ」なんて名前を付けたら、ちょっとユーモア溢れてますよね(訳注:精製前のウラニウムは俗に「イエローケーキ」と呼ばれる)
 他にも「赤い十月ケーキ」とか「赤色革命まんじゅう」とか「V・I・レーニン記念クッキー」とか、独創性溢れるお菓子が目白押し。そんな店の名は「セルプ・イ・モロト」
 ……今の仕事を辞めたら、そんな菓子屋でも開こうかな。客より先に公安が来る予感がしますが。



 今日(日曜日)は西瓜を食べました。
 台所のシンクに顔を突き出しながら、顔中汁まみれ(※この言い方に妙なエロスを感じるなら、きっと終末の日には生き残れないと思った方が良いかもしれない)にして半分を平らげましたよ。残りの半分は仮の同居人の胃袋に。
 西瓜を食べるなんてのは、ほとんど「夏が来たなァー!」という感覚を確たるものにするための儀式みたいなモンですが、それでもやっぱり風情が感じられますよね。毎朝誰かに「おはよう」と挨拶する儀式と同じくらい、あっても良い儀式だと思います。
 ……しかし、西瓜というとチャールズ・ブコウスキーの短編「白いあごひげ」を思い出して吐きそうになるのも確かです。小説で書かれてるメシってのは大概美味そうに見えるものですが、小説で書かれるゲロも充分吐き気を誘いますよね。『ブリキの太鼓』とか。