"The Land of Shared Pain" (原題「人の痛みが分かる国」)


・「多数決の国」との時系列的関係

「人の痛みが分かる国」では、次のようなキノの台詞が出てくる。

「この前みたいに後一人しか残っていない、ってことはないよね」

これはキノが「多数決の国」での出来事を思い出して言った台詞であるが、『キノの旅』に於いては「多数決の国」は「人の痛みが分かる国」の後の収録されている。つまり、英訳版の冒頭の文章にあったように二つの作品を時系列的に並べ替えるとすれば"The Land of Majority Rule"→"The Land of Shared Pain"なのである。
しかしKino No Tabiでは話の前後を入れ替えるのではなく、潔くこれに該当する台詞を全て削除している
代わりに、キノとエルメスのこんな微笑ましいやりとりが追加されている。

"You mean, they're all in the residential area?"
"Probably"
"Then let's go there!"
Kino shook her head. "No. Not today. We wouldn't get back until after dark.We may be in a walled city--an empty walled city -- but I don't want to drive in the dark."
"Ah! So, you think there might be someone or something that comes out at night, after all."
"I do not!"

「つまり、みんなは居住区にいるってこと?」
「たぶん」
「じゃあ行こうよ!」
キノは首を振った。「いや、今日はだめだよ。帰る前に暗くなってしまう。そりゃあ城壁に囲まれた安全な国の中だけど――空っぽの国だけど――でも暗い中を走るのは嫌だ」
「ああ! さては、夜になると誰か――もしかしたら何か――が出てこやしないか不安なんだね?」
「違うよ!」


――この場面もそうだが、基本的にKino No Tabiのキノは『キノの旅』よりも萌え成分150%くらいで描かれている。その辺はまた後々述べる。


・森の人
"The Land of Shared Pain"では、次のような森の人の名前の由来についての記述がある。

She had named the semiautomatic that nestled against her back the "Woodsman" because she'd used it to take down a highwayman by shooting and severing a tree limb just above his unprotected head.

キノは背中の半自動拳銃に「森の人」という名前をつけていた。かつて彼女がこの銃で木の枝を撃ち落とし、追い剥ぎの頭上へ落として倒したからだ。


ちなみに、『キノの旅』の本編に、これに該当するようなエピソードはない。「森の人」という名前についても、原作ではキノが譲り受けた時点で既につけられていた。
よく分からない変更点。


・「男」

物語後半で登場し、国の住民がなぜ総ひきこもり状態に陥ったのかを教えてくれる青年。
「人の痛みが分かる国」では単に「男」とされていたが、"The Land of Shared Pain"ではKyoshiという名前が与えられている。ちなみに、エルメスが彼の名前を「エレダダ・イイツイ」と推測する場面は"The Land of Shared Pain"に於いて次のように描写されている。

"W-w-w-whoooo...w-w-w-w-w-heeee-wheennn..."
Hermes whispeared, "Kino, is he speaking another language? Maybe he's introducing himself properly. Maybe his name is 'Oo-Weee.'"

「(とりあえず吃音)」
エルメスが囁いた。「キノ、違う言葉を話してるんじゃない? あれできちんと自己紹介してるんだよ、きっと。多分――ウー・ウィーさん」


ウー・ウィー。
ここは上手くアレンジされていると思うが、'Oo-Weee'は日本語で言う「ヤッホー!」みたいなニュアンスを含むので微妙といえば微妙。


・ドクダミ茶
どう訳すのかと思われたドクダミ茶に関するくだりだが、結構苦しい訳になっている。

"It smells interesting. Flowery. What is it called?"
"Dokudami tea."
Hermes gasped. "Doku? But that's...There's poison in it? Don't drink it, Kino!"

「面白い香りです。花みたいな……なんていうお茶ですか?」
「ドクダミ茶」
エルメスが飛び上がった。「ドク? ってそれ……毒が入ってるの? 飲んじゃだめだよ、キノ!」


ドクダミティーである。
Doku=Poisonという事を知っている人間でないと、この場面のニュアンスを上手くつかめないのではないかと心配になる訳である。Kino No Tabiは英語圏の外国人に向けて編集されたものであるし、全ての人がDokuという日本語を知っているわけではないだろう。
……もしかしたらポピュラーなのかもしれないが。Doku。
おまけに、上に挙げた拙訳はDokuを「ドク」としか訳せなかったが故に、面白味も何もない自家中毒的な表現となってしまっている。


・音楽に対する感想

「人の痛みが分かる国」の終盤、キノは男と共に電子フィドルが奏でる曲に耳を傾ける。そして、それをどう感じるかについて男が独白する。

「そして今の君、キノさんはどう感じているんだろうね……。でも、その答えは知りたくない。

相手の言葉と本心が往々にして異なる事を身をもって知っている、男の悲しい台詞である。
"The Land of Shared Pain"でもこの場面は割と素直な訳がなされているが、男の台詞だけはやや違和感のあるものになっている。

"What did you feel when you heard it, Kino?"
She opend her mouth to answer, but he shook his head.
"I don't want to know."

「この曲を聴いて、君はどう思ったのかな、キノさん?」
キノは答えようと口を開いたが、彼は首を振った。
「いや、知りたくない」


男の「知りたくない」という意思表示が「人の痛みが分かる国」よりも遅いのも大きな特徴ではあるが、さらに重要なのはキノが質問に答えようとしている部分だと筆者は思う。
どちらかと言うと、原作のキノという人物像は、他人の感傷に自分の感想を以って立ち入るような人間ではないように感じられる。仮に、「人の痛みが分かる国」で男の「知りたくない」という意思表示が遅れていたとしても、キノは何も答えなかったであろう、という事である。
しかし、"The Land of Shared Pain"ではキノは即座に答えを述べようとする。どちらかというと受動的な『キノの旅』の主人公キノに比べ、Kino No Tabiのキノはやや積極的・能動的な印象を受ける。



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