"The Land of Majority Rule" (原題:多数決の国)


・「人の痛みが分かる国」との時系列的関係

"The Land of Majorty Rule"で、人の気配がない事に気づいたエルメスが次のように言う。

"You think...you think the same thing happened here?"

「ねえ……もしかして、“ここでも同じ事が起きたんじゃないか”って思ってるんじゃない?」


これについては、"The Land of Shared Pain"の解説で述べた通り、『キノの旅』では時系列的に「多数決の国」→「人の痛みが分かる国」という順番であったのを、Kino No Tabiでは"The land of Shared Pain"→"The Land of Majority Rule"と変えてあるが故である。
話の時系列を前後させなくとも、"Kino No Tabi"を編集する際に話の順序を前後させれば済むはずなのだが、わざわざ本文の内容に変更を加えてまでそれを維持する理由は不明。


・携帯食料

『キノの旅』ではたびたび登場する携帯食料だが、それがどんな物であるかという描写に乏しく、粘土のような物であるとか、あるいはビスケットのような何かであると読者が自由に想像しているのが現状である。
Kino No Tabiに於いて携帯食料の描写がなされるのはこの"The Land of Majority Rule"が最初であり、"Something that looked like a lump of clay but was labeled "Protein Energy Bar."と描かれている。
訳すとすれば「粘土の切れ端のように見えたが、『蛋白質入りエネルギー・バー』というラベルが貼ってあった」とでもなろうか。なんだかアメリカ人好みのドギツい配色の健康食品を連想させるネーミングである。
余談だが、こうした類のエネルギー補給食品は、割と信じられない味のものが多い。パワージェルとか。


夜長の過ごし方

国(ここではTownという語が使われている)に入国するも誰にも会えず、仕方なく交差点で野宿をする事にしたキノとエルメス。
「多数決の国」ではキノはさっさと眠ってしまい、エルメスは一人退屈だとぼやき続けるだけの比較的短い場面だが、"The Land of Majority Rule"では原作とは一風変わったやりとりが追加されている。

"Sleeping already?"
"Nothing else to do. Keep watch for me. Good night, Hermes."
Kino had almost dropped off when Hermes murmured, "I hate keeping watch."
"Sorry," she muttered.
"I really hate it."
"Hermes..."
"It's boring."
He was silent just long enough to allow Kino to drift toward sleep once more.
"Boring...boring...bo--"
"HERMES!"
Silence.

「もう寝るの?」
「他にすることがないからね。きちんと見張っててくれよ。おやすみ、エルメス」
キノがうとうとしかけた頃、エルメスがぼやいた。「見張ってるのはキライだ」
「ごめんよ」キノが呟いた。
「本当にキライなんだ」
「エルメス……」
「ヒマだなー」
エルメスはそれからしばらく静かにしていたが、キノが再び眠りに落ちようとした頃、
「ヒマだなー……ヒマだなー……ヒマ」
「エルメス!」
沈黙。


悪戯好きというか、ざっくばらんに言えばどうしようもない構ってちゃんである。


・男

一人だけ国に残る男だが、彼の名前は"The Land of Majority Rule"に於いては'Kanaye'となっている。
鼎とでも綴るのだろうか。筆者が最初この名前を目にしたときは「いや、女の子に変えちゃマズいだろ!」とまったく見当外れな感想を抱いていたが、一応男性名として使われている例があるらしい。
どちらにしろ、あまり聞かない名前ではある。訳者はどこからこんな名前を引っ張ってきたのだろうか。


・嫌味

物語の終盤、必死に国に留まるように懇願するKanayeを見ながら、キノはこう言って誘いを退ける。

"We're leaving now, Your majesty. None of your offers is the least bit tempting. But I do thank you for the conversation." She boewd her head once.
"What did you call me?"
Kino shook her head. "Not important. Goodbye, Kanaye."

「ボクたちはお暇します、陛下。あなたのお誘いはどれもそんなに魅力的じゃありませんから。でもお話できて嬉しかったです」そう言って、キノは一度頭を下げた。
「今わたしを何と呼んだ?」
キノは頭を振った。「何でもありません。さようなら、カナエさん」


「多数決の国」のキノと比べると、かなり挑発的な物言いである。
しかもその後、銃を取り出しつつもそれを使う事で自らの信じてきたものが崩れるのを恐れ、葛藤する男に向けて、さらに挑発的な態度に出ることになる。

"Do you really want us to stay?" she asked. "What if we did? What if a week from now Hermes and I said, 'You are wrong, Kanaye. You are mistaken.' What then?"

「本当にボクたちにここに居て欲しいんですか?」キノが訊いた。「もしボクたちがこうしたら? もしボクたちが、これから一週間「あなたは間違ってる、あなたは間違ったんだ」って言い続けたら――どうします?」


「多数決の国」では、男の思想に対して、彼の主張する数の論理を逆手にとって「間違ってると言ったら、どうします?」と皮肉気味に言うだけのキノだが、"The Land of Majority Rule"では「もっと滞在してもいいが、お前はもっと苦しむ事になるだろうよ!」とでも言いたげな風である。
皮肉を通り越して嫌味なキノの言動に流石にキレたのか、Kanayeの癇癪も"Be gone!"と容赦ない。


・エルメスの決め台詞

「多数決の国」で、国を去る際にエルメスの呟く「さよなら王様」の名言だが、"The Land of Majority Rule"では次のようになっている。

"Goodbye, Your Highness."

「ばいばい、殿下」


キノが既にKanayeを"Your Majesty"と呼んでしまっているので、「多数決の国」の時ほどのインパクトはない。
ちなみにYour MajestyとYour Highnessのニュアンスの違いについてだが、ネイティヴに訊ねたところYour Majestyの方が位が上である、との事である。故に上に挙げた拙訳ではYour Majestyを陛下(国王や皇帝の敬称)、Your Highnessを殿下(皇太子以下の皇族に対する敬称)としている。
どちらかと言えば、キノにYour Highnessと呼ばせ、エルメスにYour Majestyと呼ばせたほうがしっくり来るような気がするが、ここは訳者の判断を尊重すべきだろう。


・What kinda a drift of wind?

『キノの旅』では半ば名物として知られる、エルメスの成句表現の誤用。「多数決の国」では「風の吹き溜まり(正しくは「風の吹き回し」)」という表現が飛び出す。
英訳の際には一番のネックになるこの名物だが、"The Land of Majority Rule"では上手く英語の成句表現にアレンジされている。

"Have you turned over a new petal?"
She glanced down at the bike. "you mean a new leaf?"
"Oh...right...leaf."

「新しい花びらでもめくる気にでもなったの?」
キノはモトラドを見下ろした。 「葉の事かい?」
「ああ……そうだ……葉っぱ」


英語の成句には、「心機一転する」の意味を持つ"Turn over a new leaf"という表現がある。新しいページ(leaf)をめくる事に由来する。
leafは「葉」という意味も内包しており、エルメスはこのleafという語を花弁を意味するpetalに置き換えてしまっているのである。




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