"Coliseum" (原題:「コロシアム」)


事実上、長編として編集されたKino No Tabiに於ける最終話。
原作は『キノの旅』シリーズでも最も初期に書かれた作品であり、I巻に載せられた分とは別に時雨沢氏が電撃大賞に応募した時のヴァリアントが存在する(電撃HPスペシャルに収録)


・離陸

物語冒頭でキノがエルメスに乗って爆走している場面では、"Coliseum"に於いて二人のやり取りに若干の追加変更がある。

"Kino!" he shrieked. "Cut it out!"
Kino released the accelerator, still laughing. "What―You've never wanted to fly?"
"Fly?" fumed Hermes. "Fly? I'm a motorcycle, for goodness' sake! I belong on the ground. Fly, my tailpipe. I thought my frame was going to bend!"

「キノ!」 エルメスが悲鳴を上げた。「やめてってば!」
キノはアクセルを緩めた。まだ笑っていた。「なんだい。飛びたいんじゃなかったの?」
「飛ぶ?」エルメスは苛立ちの混じった声で言った。「飛ぶ? 頼むよ、ぼくはモトラドなんだ! 僕は地面を走るんだ。飛びそうだったのはマフラーさ。フレームが曲がるかと思った!」


関係ないが、原作にあった「百まで出せたよ」はそのままHundredで訳されて居たが、アメリカ人にとってはやはり時速百マイル(約時速160キロ)と受け取られるのだろうか。
いくらなんでも速過ぎる。


・嫌がらせ?

同じくエルメスが「モトラドの最高速度は“出したら壊れる速度”」だと文句を言う場面だが、"Coliseum"では先代キノについての言及がある。

"Know what the other Kino said about a motorcycle's top speed?"
She paused a beat, then asked, "No, what did he say?"
"He said that a motorcycle's top speed is the speed at which it comes apart."

「前のキノがモトラドの最高速度について何て言ってたか知ってる?」
キノは一瞬だけ黙って、そして訊ねた。「いいや。何だって?」 「モトラドの最高速度は、モトラドが分解しちゃう速度だってさ」


ここから、Kino No Tabiに於いてエルメスは少なくとも一回以上、先代キノと会話を交わしていると推測できる。タイミングとしては"Grownup Country"で修理が終わった後から、先代キノが殺害されるまでの間であろう。
エルメスもキノが先代の死に対して複雑な想いを抱えているのを知っているだろうに、こんな形で彼の事を持ち出さなくてもいいような気もする。
そんなに嫌だったのか。最高速度。


・人名

この話でも、登場人物の幾人かに名前が新たに与えられている。例えば傲慢な国王はYukioで、何故か衛兵の一人にもTaroという名が付けられている。
――なんだかなァ。


・憤怒

入国時にさんざんコケにされ、怒りに身を震わせるキノ。この場面は「コロシアム」でも後々「キノにしては感情的すぎる」という批判を許した(※「コロシアム」では他編に比しても極端な描写が多いが、これは話の原型が短編応募用であり、限られた尺で世界観やキノの性格を余す所なく表現しようとした時雨沢氏の苦慮の末の判断であろう)が、"Coliseum"のキノの怒り方はそれを凌駕している。

"Will this do?" asked Kino, returning the Cannon to the holster on her right thigh.
"You little―!" The young gate guard leapt at her, hands going for her throat. He froze when he felt the muzzle of a semiautomatic pressed into his forehead.
"Say 'hello' to the Woodsman. D'you think it qualifies as a weapon―boy?"

「これでいいですか?」とキノは言いながら、右腿のホルスターに『カノン』を収めた。
「この――!」 若い番兵がキノの飛び掛って襟首を掴もうとした。が、額に半自動拳銃の銃口が押し付けられるのを感じて、動きを止めた。
「『森の人』っていうんですよ。これじゃまだ試合に十分じゃありませんか? 坊や


原作ではキレても言葉はあくまで丁寧だったのが、"Coliseum"ではギャングかチンピラみたいな言い回しを連発する。
"Say 'hello' to the Woodsman"は敢えて直訳すれば「『森の人』に挨拶してください」とでもなろうが、要は「これが武器ですが何か?」というキノの遠回しかつアメリカナイズされた言い回しである。最後の"boy?"に至っては説明する必要もないと思う。
……本当にキノか、これ。


・出番ナシ

原作でエルメスがコロシアムを評して言った「誰がいつ建てたか知らないが、まあ酷い建物だね。デザインも悪趣味」という台詞は、"Coliseum"では何故かキノの台詞として扱われている。

"I don't know when this place was built or by whom," Kino said, covering(※原文ママ) his unease with sarcasm, "but they did a terrible job. The designer had as little talent as the builder had skill. Shoddy, shoddy worksmanship."

「誰がいつ建てたか知らないけど」と、不安を皮肉で隠すようにしてキノは言った。「それにしても酷い仕事ぶりだね。設計者は建築士として失格だ。外見ばかり良くて中身が伴っちゃいない」


uneaseに掛かる属格の人称代名詞がhis("Kino No Tabi"では一貫してキノのことをSheで表記する)である事を考えると、おそらくこの台詞は本来エルメスのものであるはずが、"Kino"と誤植されているために読者に誤解を与えている。二版以降は訂正を必要とする箇所である。
また、上ではuneaseを「不安」と訳したが、話者がエルメスであるとすると不安よりも「窮屈さ」や「居心地の悪さ」と訳した方が適当かもしれない。


・馬車に乗った夫婦

馬車に乗った夫婦について、「コロシアム」では物語終盤で「キノが過去に出遭った事がある」と明かされるが、"Coliseum"では地下で居室を与えられた直後のタイミングで記される。

"It wasn't always this way, It used to be a great country, one no traveler should miss." She sounded wistful.
"How do you know?" Hermes asked. "You been reading travel brochures or something? I never get read anything interesting."
Kino sat down on the bed, drew out the Woodsman, and laid it on the blanket next to her. "You remember that couple the guards mentioned?"
"The one with the cart and―Oh! We met them...somewhere...didn't we?"
Kino smiled weakly. "Getting old, Hermes? Yes, that couple. To tell you the truth, I don't remember where or when we met them either, but I do remember what the woman told me about this place. They were looking for it because of why they'd heard. Little or no poverty, wise leadership, work and food for all."
"Sounds nice...Oh, I get it. That's why you were so happy on the way here. You thought this was going to be fun."
"Yeah. Fun. You remember fun?"

「前はこんなんじゃなかったらしい。とても素敵な国で、旅人だったら絶対来たくなるような所だったらしい」そう言うキノの声はどことなく落胆しているような響きだった。
「どうして知ってるのさ」エルメスはたずねた。「旅行パンフか何か見たの? ぼくには何も読ませてくれた事がないのに」
キノはベッドに座ると、『森の人』をホルスターから抜いて、毛布の上に置いた。「番兵達が言ってた、あの夫婦を覚えてるかい?」
「馬車に乗った? ――あ! 会ったことある……どこだか忘れたけど……会ったよね?」
キノは弱々しく笑った。「お前急に老けたのかい、エルメス? そう、その夫婦だよ。実はボクもいつどこで会ったか覚えてないんだけど、奥さんの方がボクにこの国を教えてくれたのは覚えてる。その夫婦も評判を聞いてこの国を探してたんだ。貧窮する人はほとんどいなくて、厳正な王様がいて、仕事と食料はすべての国民に確保されてるって」
「そりゃすごい……あ、分かった。だからキノはここに来る間ずっと楽しそうだったんだね? ここでの滞在が楽しくなりそうだって」
「そうさ。実際楽しいよ。“楽しみ”まで忘れてないだろうね、エルメス?」


ここにこのエピソードを挿入する事にどれだけの意味があるのかは分からないが、こうしたコミカルな会話が増えているのは楽しい。
原作の寡黙な雰囲気をぶち壊しにしていると言われればそうなのだが。


・試合一日目

試合中にも、やはりハリウッド的な軽口が絶えないアメリカナイズド・キノ

"So-o-o," said Kino, exhaling slowly, "that's the king."

「そ、れ、で、」とキノは短く切って発音しながら言った。「あれが王様か」


仮にも権威ある人間を指すならthat'sではなく、he isであるべき箇所だが、キノが王様をどう見ているかが端的に表されている名台詞。
どこのセガールですか
――次に挙げるのは、二戦目の紫トサカ男を見た瞬間のキノの独白。

If the awarded points for style, Kino reflected, I might be in trouble."

もし美術点も評価されてたら、とキノは思った。ボクは負けてただろうな


――つまり、「弱そうだけど格好だけは派手だな!」という意味である。
さらに、紫トサカのお手製手裏剣を見た感想も、

Ooo, thought Kino. Scary.

ふーん、とキノは思った。おっかないね


だからどこのセガー(ry


・Foxy girl

二日目の二戦目で戦う女性が市民権を欲する理由について、"Coliseum"では若干の変更が加えられている。

"When I came through the woods just outside of town, I met a beautiful little boy playing in a brook. A darling child. A precious child, but he told me he had no mother or father. If I gain citizenship, they'll let me adopt him."

「この国に来る途中の森の中でね、とっても可愛い小さな子が川で遊んでるところに出くわしたの。ほんとに、ほんとに可愛い子でね、けどお母さんもお父さんもいないんですって。もし私が市民権を獲得したら、あの子を養子にさせてもらうつもり」


――これだけではこの箇所の改変の意味が分からないというかただのアブない人だが、これに続く場面を見れば疑問はたちどころに氷解する。

"You don't understand, do you, little girl? It's just a woman's nature, I suppose."
A woman's nature. Perhaps she should understand. Perhaps she merely wanted to understand. She thought of her own mother and shrugged.

「分かるでしょ、お嬢ちゃん? 女の性ってやつよ、これ」
女の性ね――キノは分かっている筈だった。もしかしたら分かろうとしただけかもしれなかった。キノは自分の母親を思い出して、不快な気分になった。


「女の性」というキーワードに対して、ここでは"Grownup Country"と"The Land of Peace"での出来事がキノの中で回想されている。寸前に訪れた"The Land of Peace"では子を想う母親の狂的な愛情を見せ付けられ、他方で彼女の中には自らを殺そうとした母親の記憶が未だ根強くこびりついている。
キノがここで葛藤すべく、女性の動機は変更されたのである。
また、女性を倒した後のやり取りにも手が加えられている。

"You know, you're pretty cute. I could adopt you, too."
"Sorry," said Kino, "one mother was more than enough for me."

「あなた、とっても可愛いわね。あなたも養子にしてあげてもいいんだけど」
「遠慮します」とキノは言った。「母親はもうあれきりでたくさんです」


なかなか深みのある台詞になってはいるが、原作からかけ離れ過ぎている事に変わりはなく、日本語版のファンの評価は厳しそうな気がする。


・波紋

シズを倒し、王様をぶち殺して出国した後、湖畔で一人たそがれて、物憂げに石を湖面に投げ込むキノ。
「コロシアム」ではシズが登場するまでの幕間のような形であったのが、"Coliseum"ではこのシーンにもう少し明確な意味を持たせてある。

Is that the way of the beautiful world? Does serenity always return even after the most devastating of shockwaves?

これが美しい世界なのか? なにもかも壊すような波のあとですら、いつか必ず戻る平穏さが?


これは、Kino No Tabiの最終話である"Coliseum"までに体験した事柄を思い返してのキノの心情である。投げ込んだ石が湖面を激しく波立たせても、その波紋がすぐに消えてしまい、元の穏やかな水面に戻る光景に「平穏」や「平和」、果ては『キノの旅』の主要なテーマでもある「美しい世界」が何であるかを見出そうとするかのようである。
ここは英訳版独特の上手いアレンジであると思う。


戻る  次へ>